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モベンシス株式会社

MIT発のソフトウエアベンチャー・モベンシスが、三菱電機との協業でFA業界のプラットフォーマに。半地下からの成長秘話

(PR TIMES STORY) 2023年07月04日(火)17時14分配信 PR TIMES

1998年にマサチューセッツ工科大学(MIT)の研究者によって創業されたモベンシス株式会社(旧ソフトサーボシステムズ、以下「モベンシス」)は、FA業界において最先端のソフトウエアベースモーション制御技術(以下「ソフトモーション」)を長年開発して、半導体製造装置等の各種装置メーカに提供してきました。その技術力と実績が評価され、2023年5月22日に三菱電機株式会社(以下「三菱電機」)との業務資本提携契約を締結しました。

*URL:モベンシスと三菱電機が協業契約を締結|モベンシス株式会社のプレスリリース (prtimes.jp)


グローバルトップFAメーカである三菱電機との業務資本提携は、モベンシスが開発してきたソフトモーション技術が、グローバル市場での先端的で中核的な技術として評価されたという意味で、大きな反響を引き起こしています。

数人のソフトウエアエンジニアで始まったモベンシスが、FA分野で世界最先端として認められるまで。そのプロセスを経験したベテラン社員である姜(カン)に、話を聞きました。


姜 瑛愛(カン・ヨンエ) ※写真左

2014年、ソフトサーボシステムズ株式会社(現モベンシス)入社。営業事務を経て、現在は営業担当として大手半導体装置メーカを相手に全国を飛び回っています。


中央:代表取締役社長 佐藤恭祐

右:聞き手・マーケティング担当 押田ゆり


モベンシスのはじまり 大きな夢を抱えて、ボストンから立川へ。

――モベンシスのはじまりについて教えてください。

モベンシスは、当時マサチューセッツ工科大学(MIT)の研究助教授であり、現モベンシス会長である梁富好(ヤンブホ)博士が担当した「次世代ロボットコントローラ開発プロジェクト」がはじまりでした。その開発成果をもとに、モベンシスの前身であるSoft Servo Systems, Inc.(以下「Soft Servo」)が米国ボストンで創業されました。


当時、専用ハードを一切使わず、市販パソコン上のソフトウエアだけで高性能なモーション制御機能を実現するという技術は極めて革新的で画期的でした。この技術を高く買っていただき自社装置に採用してくれた装置メーカは米国や日本に数社ありましたが、業界の主流にはなりませんでした。当時はまだPLC等のハード製品が主流の時代で、パソコンの性能や安定性もまだ低かったことがあり、Soft Servo社のソフトモーション製品の営業が大変難しかったと聞いています。

▲ボストンでの創業時の写真。後段中央が創業者の梁(ヤン)博士


――モベンシス本社が日本に移転した経緯はなんですか?

創業者の梁(ヤン)は仲間とともにアメリカで研究開発を進めながら、米国各地や日本、韓国などへ足を運んで、お客様と会って話し、ソフトモーション製品の売り込みもしていたようです。その際、ソフトモーション技術に関して大手装置メーカからの評価は非常に高かったのですが、多くの装置メーカから、「この技術は10年以上時代を先取りした技術ですね」と言われていたそうです。つまり早すぎたということですね。あまりにも革新的すぎて、保守的な製造装置市場では敬遠されていたそうです。その結果、会社は売上も伸びず、ベンチャー企業であるがゆえに資金繰りも厳しくなり、経営が立ち行かなくなったそうです。


しかし、2004年に大きな転機が訪れました。Soft Servo社製品を高く評価し、採用を続けていた日本の装置メーカや代理店、その他の投資家から、この技術を死なせてはいけないという想いでSoft Servo社への出資のオファーをしてくださったそうです。梁(ヤン)はそのオファーを非常にありがたく受け止め、その出資を受けるために、仲間数人を連れ日本に拠点を移して日本法人(現モベンシス)を設立することになりました。


梁(ヤン)はもともと日本生まれ日本育ちです。京都大学を卒業してMITに留学したようですが、生まれ故郷でもあり、ものづくりでは世界最高レベルの技術をもつ日本で事業を成功させることにこそ意味があるという強い気持ちもあり、日本に戻ってきたと聞きました。


日本では一時期静岡県浜松市にオフィスを構えていましたが、その後立川に本社機能を移転しました。少数精鋭のソフトウエアエンジニア数名だけで、「立川から世界に」という思いで立川事務所を開いたようです。私は立川オフィスに移転して間もない頃に、庶務なども掛け持つ営業事務として採用されました。入社後にわかったことですが、自分以外は皆バリバリの開発者たちで、私だけが非エンジニアでした。今思い返すと同僚の中では当時かなり浮いていたと思います(笑)。


▲同僚が増えた頃の立川オフィスでの写真。半地下のような構造だったため、日当たりも空気も悪かったです


当時のオフィスはカンヌ国際映画祭で作品賞を受賞した韓国映画「パラサイト 半地下の家族」のような、環境の悪い半地下の狭いオフィスでした。また日本ではまだまだ我が社の知名度や売上があまり無かったため、慢性的な資金不足で苦労を強いられました。

今だからこそ言えますが、私がこのような会社に入社してしまったことに不安を感じて、家族から心配されたこともありました。しかし厳しい環境であったからこそ、みんなが助け合うことで団結力が強まっていく姿に元気や勇気をもらえ、私も最後までやりとげようと決意しました。


入社後の私は、業務上でわからない事があった時は、よく会社の歴史・製品概要・お客様情報に至るものがすべて書かれてある資料を漁るように読んでいました。歴代の先輩たちが残してくださったこの資料=資産で、多くのことが把握できたため、ありがたかったです。

また創業者であり現会長の梁(ヤン)は社員との食事や社員旅行などの機会に、会社や会社をとりまく企業様に関する色々なエピソードを聞かせてくれました。

半地下オフィスから世界へ。

――もともとこの業界に詳しかったのですか?


この業界に勤めた経験が無かったので、業界用語すら理解できず、入社当時は上司や同僚から指導を受けながら勉強していました。先輩や仲間からのサポートがあってからこそ踏ん張ってこられたので、本当に感謝しています。


また、お客さんからの質問・要望について、どうしてもわからなかったことは、開発部のエンジニアの皆さんに協力をあおぐと、とてもスマートに対応してくれました。議論を闊達に行い、カスタマーファーストを実践しようとする姿が、とても頼もしかったことを覚えています。

また、そんな経験は私だけでなく、同じエンジニアどうしでもあったようです。


アメリカから来たあるエンジニアは、採用当時は技術力がまだまだだったそうなのですが、日々先輩エンジニアに技術を体系的に教えてもらったおかげで、今では世界トップレベルのエンジニアとして活躍しています。当時のオフィスはお世辞にも綺麗とはいえず、業務量も今よりずっと多くて苦労したのですが、私は彼が成長するのを隣で見ながら「今は辛いけど、きっとこの会社ではこの辛さがいつか報われるんじゃないかな」という気がしていました。


私自身は、自社製品への理解を少しずつ深める中で、時代を先取りしたソフトモーションコントローラの先駆者である自社技術に対して強い誇りを持ちはじめ、気持ちを込めて仕事に取り組めるようになりました。


▲イベントも様々。実力はバラバラでも、みんなでイベントを楽しむことが大事!という精神で取り組んだスノボ。


――助け合いの精神で困難を乗り越えていったんですね。

小さい会社だからこそ、お互い密に助け合うことができました。助け合いの精神です。個々の社員の成果や評価をチームや会社全体の成果として認め合う習慣も、わが社の良い文化だと感じています。

国籍も母国語も経歴も多種多様なメンバーで構成されている会社ですが、だからこそ互いの個性を認め合い、一緒に成長できる環境だと思っています。

▲韓国と中国にいる社員が日本に集まって、グループ全体で温泉旅行に行ったときの写真


――今は各国のグループ会社を合わせると従業員が90人近くになりました。そこまで成長するに至った転機は何でしたか?

急成長している半導体製造装置業界で、私たちの技術が急速に採用され始めたことが大きな転機になったと思います。周囲に「10年早い」と言われてきた技術が2014年頃からようやく採用され始めてきて、「時代がやっと私たちに追いついてきた」と同僚と喜び合ったことを覚えています。

工場のスマート化需要の高まりとともに、日本だけでなく、韓国や中国等でも大手半導体製造装置メーカに採用されたことで、事業がさらに拡大していきました。


また我が社のソフトモーション技術が、外部の方に評価される機会も増えました。2019年には、おかげさまで主力製品『WMX3』が、「世界発信コンペティション」で東京都ベンチャー技術特別賞を受賞し、私が会社を代表し小池百合子東京都知事から直接表彰されました。

▲「世界発信コンペティション」で東京都ベンチャー技術特別賞を東京都知事から表彰をうけた。創業メンバの「立川から世界へ」の思いが実現できた瞬間


私が一番驚いたのは、米国シリコンバレーの有名な投資家であるPeter Thiel氏が率いる投資ファンドから、50億円もの出資を誘致できたことです。私たちの技術を革新的だと高く評価していただき、今後の大きな成長を支える資金を提供していただきました。その出資誘致で、社内の空気が一気に変わった気がします。なんだか、本当に世界一になれるんじゃないかという実感が湧きました。


主力ソフトモーション製品である『WMX』は、Windows OSが搭載されたパソコンにインストールすれば、PLCやモーションボードといったハードウエアベースの制御に代わって高速多軸モーション制御を実現することができます。近年半導体不足が嘆かれる中で、お客様から非常に好評をいただいています。最近はLinuxバージョンも開発し、組込向けのアプリケーションにも適用いただいています。 


技術革新の情熱が、『FA業界の巨人』の目に留まる。

――そこから三菱電機との協業契約に至ったのはなぜですか?

『FA業界の巨人』である三菱電機との大きな接点ができたきっかけは、2019年に開催されたIIFESという展示会でした。


これまで私たちは、EtherCATマスタを独自開発し、EtherCAT対応の『WMX』を主力製品として販売していました。当時製造装置業界ではオープンネットワークであるEtherCATがデファクトスタンダードとしてニーズが高まり、それをアジアで最も早く製品化した我が社の製品が売れ始めていました。そのことを高く評価したからだと思うのですが、はからずも2019年春に三菱電機様からお声をかけていただきました。


当時三菱電機は次世代のオープンネットワーク規格であるTSN(Time Sensitive Network)を業界でいち早く採用し、CC-Link IE TSNというオープンなフィールドネットワークを開発し事業展開をしていました。CC-Link IE TSNは三菱電機様の主力製品であるPLCに搭載されていたのですが、三菱電機の製品ラインアップには今後のスマート工場で主役となっていくPCベースコントローラ製品がなく、WMXを CC-Link IE TSNに対応してほしいというオファーがありました。


私も当時、開発メンバーとともに何度も三菱電機名古屋製作所に足を運んで打ち合わせを重ねました。あとで聞いた話ですが、パソコン向けCC-Link IE TSNマスタの開発は三菱電機を含めて多くの企業が挑戦したようですが、何年かけても開発ができなかったようです。やはりFPGAやASIC等のハードで実現できたフィールド通信をソフトだけで実装するのはどの企業にとっても難しかったようです。またTSN規格は非常に難しく、我が社にとっても困難が予想されました。ただ、我が社には創業者の思いである「絶え間ない技術革新」という経営理念もあり、チャレンジすることに決めました。

そこから開発部の皆さんが本当に頑張ってくれました。私は開発に1年から2年ぐらいかかるかなと予想していたのですが、なんと6ヶ月というスピートで開発を完了することができました。私も我が社の開発力には驚きました。名古屋製作所の会合で簡単なデモをお見せしたところ、三菱電機の皆様が大変驚かれたのを強く覚えています。そしてその直後のIIFES展示会で同じデモを展示したところ、三菱電機の幹部の方の目に留まり、「ぜひ我が社と手を結ぼう」と言っていただきました。

▲モベンシス社の開発力を存分に紹介した『IIFES2019』でWMX3(CC-Link IE TSN対応)を動展示。


――IIFESの展示会がきっかけで、三菱電機との結びつきが強まったのですね。

そうですね。その後は三菱電機様との技術交流を深めながら、この新しい技術であるCC-Link IE TSNの魅力をどうやってお客様へ伝え採用していただくか、という取り組みを精力的に行っていました。


その中で三菱電機やCC-Linkネットワークの普及団体(CLPA)のメンバーとの交流も盛んに行いました。名古屋・立川での会食やオンライン飲み会などを通じて、個々のパーソナリティを大事にした関係性が相互間で形成されはじめ、ビジネスを推し進める力や絆も生まれる事を体感しましたね。


その後我が社のグローバル市場での実績も上がり、我が社のソフトモーションやCC-Link IE TSN技術のレベルも格段に向上したことから、今年に入り三菱電機様から資本業務提携のオファーをいただきました。オファーを頂いた際は、私自身長年名古屋製作所に通い難しい打ち合わせを重ね、同僚の開発メンバーの苦労も目の当たりにしてきたこともあり、我が社の技術や我が社のメンバーがやっと世界に認められたという思いで感無量でした。オフィスの片隅で涙したことを覚えています。


――どんな大きなビジネスも、日々の小さな一歩から生まれるのですね。

本当にそうだと思います。こうして改めて振り返ってみると、入社当時の私はまさか三菱電機と協業したり出資頂いたりするなんて、夢にも思いませんでした。


FA業界の巨人である三菱電機に採用されるということは、モベンシスの技術が世界標準として認められたと言っても過言ではないと思っています。以前は「10年早すぎる」と言われ、門前払いを食らうこともありましたが、それでも社員同士団結して絶えず技術革新を行い続けたからこそ、ようやく実を結んだのだと思います。


――ありがとうございます。

モベンシスは本年4月、最先端の自律走行ロボット(AMR)制御を有するMIT発スタートアップ企業であるSkylla Technologiesを買収しています。モベンシスのソフトモーション技術と統合することで、「トータルAMR制御プラットフォーム」をAMRメーカに提供する予定です。

*URL:モーションコントロールプラットフォーム企業・モベンシスが、MIT発自律走行ロボットスタートアップ企業「Skylla Technologies」を買収|モベンシス株式会社のプレスリリース (prtimes.jp)


そして事業の拡大にともない、今年秋には思い出深い立川を離れ西新宿へのオフィス移転を計画しています。

*URL:https://www.movensys.com/jp/14_jp/49

▲新オフィスのイメージ


今後もモベンシスは社員一丸となり、FA業界のグローバルプラットフォーマーを目指し、技術革新を続け成長してまいります。モベンシスの次なるステップにご期待ください。

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