プレスリリース
清少納言
佐々木和歌子 訳
定価:1,562円(税込)
ISBN:978-4-334-10248-7
発売日:2024.03.13
電子書籍あり
『枕草子』は、清少納言のどこまでも自由な視線に貫かれている
2024年度のNHK大河ドラマ『光る君へ』……。平安時代が描かれることはあっても、女性が主人公で後宮(こうきゅう)が主な舞台となる大河ドラマはこれまで無かったように思います。この時代に女性が身を立てるには何が必要だったのか。女性の職場である後宮ではどんなことが起きていたのか……。紫式部の一生が描かれることで、こうしたことが明らかになっていくのだろうと期待しているところです。
いきなり紫式部の話から始めてしまいましたが、宮廷に生きる女性のあり方や思考、仕事の現場を知るのに、『枕草子』ほど相応しいテキストはないのではないでしょうか。
紫式部と同時代を生き、ライバルだったと言われることもある清少納言は、『源氏物語』とは趣(おもむき)のまったく異なる『枕草子』を遺しました。物語ではなく随筆(当時この言葉はなかったにせよ)だからこそ可能な表現で、人生訓や恋愛論からおしゃれ指南、好きな物リストまで、あらゆる要素を盛り込んで読む者を楽しませてくれます。
『枕草子』は、清少納言のどこまでも自由な視線に貫かれているからこそ、美の本質について考えさせ、華やかだけではない宮廷世界の裏側を垣間見させてくれる……。そんなことに気づかせてくれる一冊が、佐々木和歌子先生による今回の新訳です。
今回新たに誕生した新訳の魅力を、担当編集者・佐藤美奈子の解説と訳者・佐々木和歌子先生へのインタビューから紐解きます。
『枕草子』第299段の場面を描いた清少納言図(作・土佐光起)。
出典:国立博物館所蔵品統合検索システム
「程よく」新しい訳語――新訳の特徴と意義
「春って曙よ!」で始まる橋本治氏による『桃尻語訳 枕草子』(以下・『桃尻語訳』)に衝撃を受けた、という人は多いのではないでしょうか。「ナウい」や「新人類」といった言葉が流行した1980年代後半に青少年期を送った方々はとくにそう言えると思います。
私自身も衝撃を受けた者の一人で、『桃尻語訳』によって間違いなく『枕草子』の世界が一気に身近になりました。「有名な古典はお上品で格調高くなくてはいけない」という、学校の古文の授業に何となく覆う空気を、良い意味で壊してくれました。そのことの意義は強調してもし過ぎることはないと思いますが、数十年経って読み直すと、当時ではわからないさまざまな点に気づくのも事実です。
例えば『桃尻語訳』では、橋本氏のベストセラー小説『桃尻娘』シリーズの主人公・桃尻娘が語り手で、彼女は高校生(シリーズ最終部では大学生)です。いわゆる「きゃぴきゃぴ」した娘が清少納言になり代わった体(てい)で『枕草子』が語られます。ところが清少納言が『枕草子』を書いた時期は、(ある程度の期間にわたるとは言え)すでにベテラン女房と呼ぶに相応しい年齢に達していました(本書の「解説」なども参照)。けっして「きゃぴきゃぴ」した娘ではありません。
そんな「ベテラン」感を漂わせつつ、才気とユーモアにあふれ、“お上品で格調高いしきたりに従うべし”といった価値観を、むしろ相対化する視点を持った女性が清少納言だったのではないでしょうか。
そうであるならば、今回の新訳における語り手こそ、等身大の清少納言の姿を現代に蘇らせている、と(担当編集者としての贔屓目ではなく)私は思っています。
「ベテラン」感は、訳語の「程よい新しさ」に表れています。例えば『桃尻語訳』では、身分の高くない男性従者(原文「をとこ」=訳語「郎等」)に「ギャルソン」、「女房」に「キャリア」とルビが振られたりしていて度肝を抜かれたものです。当時は(とくに若者の間では)ルビ「ギャルソン」で意味が通じたでしょうし、「キャリアウーマン」が注目された時期ですから、ルビ「キャリア」に意味があったはずです。ただ残念ながら、定着に至らぬまま時が過ぎ、2020年代の読者にとっては注釈が必要となっている、とも感じます。
新訳では、同じカタカナ語でも幅広い年代層に通じるであろう語が選ばれています。
「気分が上がる」「しょぼく見える」「ぐぬぬと思いながら」など、カタカナ語に限らず、今ならではの表現が程よいバランスで溶けこんだ文章にも、進取の精神に富んだ清少納言らしさが表れていると思っています。
佐々木和歌子先生にインタビュー、翻訳作業のリアルを訊く!
訳者の佐々木和歌子先生は、すでに『とはずがたり』(光文社古典新訳文庫・2019年刊)でも、生き生きとした訳語で古典の世界を現代の読者にわかりやすく伝える仕事をしてくださいました。
実は佐々木先生、広告関連の企業で歴史や文学系コンテンツの制作に携わる仕事人としての顔を持っておられます。そういう先生ならではのリアルな翻訳の現場を知りたいと思い、以下お訊きしました。
佐々木和歌子(ささき わかこ) 1972年、青森県生まれ。文筆家。東京大学大学院人文社会系研究科修士課程修了。専門は日本語日本文学。(株)ジェイアール東海エージェンシーで歴史文化系コンテンツの企画制作に携わりながら、古典文学の世界をやさしく解き明かす著作を重ねる。訳書に、後深草院二条『とはずがたり』がある。
――お仕事が『枕草子』新訳に与えた影響はありますか?
「勤務する広告会社では、京都・奈良へ(新幹線で)訪ねてもらうべく日本の歴史文化を伝える業務に携わってきました。歴史の現場へと誘う仕事の影響なのか、清少納言がいた“リアルな場所”を常に意識しました。
10年ほど前に自分の住処(すみか)を京都に移したため、清少納言が人間観察に余念がなかった清水寺もベランダから見えますので、よりリアルな想像ができました。ハードそのものはなかなか残りませんが、自然風景や気候的な特徴はさほど変わりません。
清少納言が見た「いとうららかなる」春の陽光は、こんなラムネシャーベットのような空だったのかも、と見上げることもできます。
現場体験が新訳そのものに影響を与えたかはわかりませんが、清少納言を近くに感じながら書くことができたように思います。春のあけぼのも、早起きして体験しました。」
――平安時代(『枕草子』の時代)と現代の共通点・相違点について教えてください。
「以前、読者の方から『平安時代の人もお酒を飲むんですか?』と聞かれたことがあって、『飲みますよ!飲んで酔っ払って翌日落ち込んで…、と今の人といっしょですよ!』と答えたのですが、平安時代はあまりテレビドラマにならないせいか、人間臭がしないのかもしれません。
同じ人間ですから相違点を探す方が難しいのですが、やはり徹底した身分社会、主従関係に共感することは難しいと思います。
清少納言にとって、主君の定子は天に輝くポーラースター(北極星)で、定子を中心に彼女の世界は回っている。書記官としての立場もあってそのように書いているのかもしれませんが、いまの職場の上司と部下に当てはめることは到底できません。
また、身分ある男が愛人を訪ねているその間、従者たちは深夜であろうと雨降りであろうとじっと待ち続ける場面があります。当時はそれが当然だったとしても『気の毒だなあ』と思います。華やかな貴族生活を支える“身分が低いとされた者たち”にも注目してみてください。」
――清少納言のキャラクターを、先生はどう捉えていますか?
「現代語訳作業中に何度か吹き出して笑ったことがあるのですが、清少納言は当時最高のコメディエンヌだったと思っています。
二五七段で『大蔵卿ほど耳ざとい人はいない。実際、蚊のまつげが落ちる音すら聞きとってしまいそうだ』と言っています。「蚊のまつげ」って……ここを訳しているとき、女房仲間がどっと笑う声が聞こえてくるようでした。本書の解説にも書いたように、中宮定子は非常につらい境遇に置かれます。そして、つらいときにこそ笑いが切望されます。
定子が凋落したあと、実家に籠もる清少納言を、定子はもちろん周りの女房たちも早く出仕するように求めますが、きっと彼女の巻き起こす「笑い」が必要だったのでしょう。定子にとって清少納言は「笑い」という戦力でもあったと思います。」
平安時代の宮廷位階(本書526・527ページより)
――訳文を作る際に苦心したところも教えてください。
「複雑な経緯で写本が伝わったために、同じ系統でも本文の違いがとても多く、どんな方針で本文を採るべきか、という根本的な悩みが常にありました。
また、難解であったり曖昧であったりして意味のとれない文章もあり、諸注釈もいろいろ工夫して解釈しようとしていますが、「その言葉をそう解釈したら、この章段そのものの読みが変わってしまう……」ということもあります。
私は気が小さいので(笑)オーソドックスな説に寄ることが多かったのですが、なるべく私が清少納言らしいと感じられるものを採用しました。
宮廷文学特有の複雑な敬語には、悩みが尽きません。読みやすさを考えると敬語は避けたいけれど、天皇の行為に対して「主上がやってきた」「主上が言った」と書いてしまうと、あまりにも当時の価値観を無視してしまう。このため、敬語をまったく排除するのではなく、最低限は残すという方針にしましたが、一つ一つ悩みました。」
――『枕草子』の受容について伺います。宮中で読まれていたことは、後世の「読み」にどのように関わっているのでしょうか。
「清少納言が生きていた頃から貴族のあいだでは[読み物として]読まれていたようですが、鎌倉時代に入ると歌学書にその名が見られ、藤原定家が校訂して現在の三巻本ができたようですから、この頃には読み物というより、失われつつある王朝文化を伝える古典作品として読まれたようです。
『徒然草』を書いた兼好法師も影響を受け、中世を通じて知識層に読まれたと考えられます。江戸時代になって注釈書もできました。時代を追うごとに古典の権威となっていき、今も“子どもが学ぶべきもの”として教科書の定番です。」
――後宮の女房は、特別な行事がある時以外、普段はどんな一日を送っていたのですか?
「出仕中は、主君の御前に上がっているか、自身の局(部屋)に下がっているか。局にいるときは子どもも呼び寄せられたようですし、恋人と逢うのもこの時間です。御前に上がる勤務時間は定まってはいないようで、すぐに下がることもあれば連続勤務もありました。
勤務中は定子の身のまわりの世話、定子と官人たちの取り次ぎ、縫い物などをしていたようですが、定子の文化的な営み──和歌を詠んだり、絵を鑑賞したり、物語を読んだり碁を打ったり、半分仕事で半分遊びのような時間を過ごしたようです。
あとはひたすらおしゃべり。解説にも書きましたが、その他愛ない女房たちのおしゃべりが『枕草子』を支えたことは言うまでもありません。」
――翻訳作業でのご苦労、訳文決定に至る裏話など、本書の「解説」や「訳者あとがき」とは一味違う佐々木先生の「声」を聴かせていただけた思いです。
歯切れ良く瑞々しい! 平安朝を代表する随筆を、鋭く繊細なまなざしですくい取った世界観。……新訳『枕草子』をまた読み返したくなりました。