プレスリリース
小児訪問看護×αで「大人も子どももキラキラと笑顔で夢を語る社会」へ。元ヤングケアラーが子育て事情の改善に挑む。小児訪看の宮川菜摘のこれまでとこれから
私たちLico perkは「大人も子どももキラキラと笑顔で夢を語る社会」を目指し、代表の宮川菜摘が2022年10月に起業しました。宮川の幼少期の頃の経験や小児専門病院での経験が元になり、病気や障がいがあってもなくても誰もがスペシャルな存在であり、様々なことを当たり前に選択することができるように、子どもとその家族の笑顔が溢れる生き生きとした日本になるように、そんな願いがこもった会社です。
実際の子どもたちとご家族の声を吸い上げ、産前産後からAYA(若年成人)世代までのサービスを充実させるため、医療的ケアにも対応できる看護師が訪問するシッター「ファミリナース」から始まり、よりご家族の負担が少なく対応できるよう小児専門訪問看護「ファミリアナース訪問看護ステーション」を併設しています。
このストーリーでは、#ファミリアナースに込められた願いと誕生の裏側について、代表の宮川が振り返ります。
妹が誕生。手術や入院を繰り返し、疲れ切って涙する母の姿を見て、自分にできることに必死になった
小学4年生の秋、数ヶ月に及ぶ母の切迫早産の入院を経て、歳が離れて新しい家族が生まれました。小児医療の道へ進むことを決める一つのきっかけとなる日となりました。
学校帰りに毎日母の面会に行っていましたが、予定帝王切開だったためこの日も学校から走って病院に向かったのを今でも覚えています。
生まれてきた妹は、その後成長に合わせて段階的に手術が必要でした。色んな検査が必要となり、すぐには帰ってくることができませんでした。
妹の誕生により、子どもが元気に生まれてくることはこんなにも奇跡の連続なんだと初めて知りました。
検査が終わり帰ってきてからもうまくミルクが飲めず泣き続ける妹にかかりきりの母は、誰にも相談することができず、一人で抱え込み、辛い辛いと泣くこともありました。妹の入院にも付き添い、たまに帰ってきた時にはクタクタに疲れ切っていました。
手術やその後の処置を頑張る妹の姿に、子どもの自分に何ができるのか、どうしたら母は泣かなくなるのか、とにかく何でもできる良いお姉ちゃんにならなければと必死でした。
限界が来て、摂食障害で入院。素晴らしい医師に出会い、その後、看護大学に進学
病気の子どものきょうだい児やヤングケアラーと呼ばれる子どもは、その数年後から数十年後に精神疾患を患うことが多いと言われています。
私も、知らず知らずのうちに限界がきていたようで、中学生の頃に食事を取れなくなりました。親からも指摘はされていましたがどうにもできませんでした。
走れなくなり、意識が遠のくことも増え、まずいなと思いネットで病気を調べ、病院に連れて行ってほしいと親に頼みました。
入院させてくれた病院で、小児医療の道へ進むことを決める2つ目のきっかけとなる主治医と出会いました。数ヶ月の入院生活で様々な病気や障がいのある子どもたちとも出会いました。「ありのままでいい、そんなに頑張らなくていい。家族とみんなで治していこう。」と心も体も、家族のことも一緒に考えてくれるおじいちゃん先生に、こんな人になったら妹や母のような人の力になれるのかもしれないと思い、小児科医になろうと決心しました。結果、頭が足りず、医学科は落ちてしまいましたが看護大学に進むことができました。医学科の学生を横目にやさぐれていた時期もありましたが、小児看護ゼミに入り、小児科病棟でのボランティアや小児専門病院で病気の子どものきょうだいを預かるキッズルームでのボランティア、きょうだい児看護の卒業研究をしたりと実際に出会う子どもたちの姿に励まされながら、小児専門病院に就職し、より専門的に学びました。
小児がん病棟から小児循環器・心臓外科病棟へ。さまざまな子どもたちと出会った
新卒で配属された小児がん病棟では、命に関わる病気と日々闘う0歳から高校生まで様々な子どもたちやご家族と出会い、時にはお看取りをすることもありました。ここでの学びは、一言では言い表せません。命とは何か、生きるとは何か、家族とは何か、死とは何か、看護とは何か、子どもたちに教えてもらったことで、今の私は形成されています。
6年目を前に病棟が異動となり、改めて初心を振り返ったとき、当時の妹と母の姿が思い出されました。自分がやりたいことは何か、それは病気や調子の悪い時にくる病院ではなく、その後も続いていく地域、在宅にあると感じ、どうしたら妹や母の様な存在にとって力になれるのか、病院での仕事と学びを深めながらずっと2、3年考えていました。
約8年勤めた小児専門病院を飛び出し、生活の場での起業へ
病院で一看護師として働いたことしかないので、起業や経営なんてどうしたらできるのかわからず、東京都のビジネスコンテスト、TOKYO STARTUP GATEWAYに参加してみたり、スタートアップハブTOKYOに行ってみたりしました。最初は、子育て広場のような、親子が集える場所が増やせたらいいのではないかなどと考えていたのですが、ビジネスコンテストや創業ステーションで細かく事業の設計をしていく中で、まだ自分には難しいことがわかり頭を抱えました。手始めにSNSなどの発信を始めたり、お悩み相談チャットアプリの様なものを作ってみようとしたり、できることから色々と試してみました。
その中で、小児専門病院時代に行かせていただいた訪問看護の同行研修で初めて小児でも訪問看護ができることを知ったのを思い出し、子育ての悩み相談から医療的ケアのサポートなど自分のやりたい形に近いことができるかもしれないと思いました。子どもを連れて出かけることはとても大変なことですし、本当に調子が悪かったり、障がいが重いとそれこそ外に出ることは難しくなるので、家庭に訪問することができるのはすごい強みだと思います。
コロナ禍になり、激務により体調を崩したこともあり小児専門病院を退職後、看護大学で小児看護学の助手をしながら他の小児専門病院の様子を見させていただいたり、小児の訪問看護やシッター、障がい児者のグループホーム、シッターの友人と子育てイベントを開催したり、小児関係のNPO法人で心の不調のあるひとり親の精神科訪問看護の新規立ち上げに関わらせていただいたりと子どもやその家族といろんな場面に入らせていただきました。
そこでの生の声と子どもの頃の願いをもとに、大学時代からの同期や大学の教授や講師の先生、子どもたちやご家族にも応援していただいて、やっと2022年10月にLico perkを設立し、訪問看護の指定が取れるまでに先行してシッター事業「ファミリアナース」を始動しました。
ファミリアナースを破格の価格設定にした理由
当初は、NPO法人や一般社団法人の様な非営利団体にしようかと思っていました。しかし非営利団体にしなくても、子どもたちとそのご家族に必要なサービスが届けられる社会を作らなければならないし、そんな社会でなければ、弊社以外のサービスも増えていかないと思ったのです。それでも看護師による自費の訪問看護、シッターを相場の半額以下の価格にしたのは、たとえ金銭的に余裕のある家庭でも障がいや病気があることで1時間に8000~10000円以上するサービスを継続して使うことは難しく、どうしても必要となった時でも手を出せない様な状況をなくしたかったからです。何よりも、まるで使うなと言われているような高価格にされてしまうことで「社会から阻害された気持ちになった」というご家族からの生のお声がありました。
それでも毎日のこととなると決して安価ではありません。
シッターという扱いにしたのも、小児分野が保育や教育、看護が切り離せないということもありますが、シッター助成などの制度を使えるようにしたかったためです。
誰でもスペシャルな存在であり、同じ子どもは一人としていないから、どんな子でも、当たり前に愛され、やりたいを叶えたり挑戦したり経験することができるように、伴走していきたいと思っています。
実際に、特別支援学校の移動教室の付き添いなどにもご利用いただき、お友達と楽しそうに参加される姿を側で見守らせていただき、その生き生きとした子どもらしい姿に胸を打たれました。
24時間365日対応にこだわる理由
生後数日でお看取りとなられた新生児のお子さんも、数日ですが私たちが受け入れられたことで最期を大好きなご家族とお家で過ごすことができました。たった数日の関わりは難しさもありますが、「お家に帰る」という選択肢を作れたことは何かしら意味のあることだったと信じています。
一般的な訪問看護ステーションは9時から17時までの訪問であるように、平日9時18時頃までのみの勤務形態の方が働き方としては一般的には人気が高いことも理解しています。それでも、ご家族の介護は24時間続きます。
また、子どもたちも保育園や学校、児童発達支援や放課後等デイサービスに通ったり、ご家族もお仕事をして活躍されたり、社会参加できることは誰にとってもとても大切なことです。そのためには朝や夕方以降でのサポートも必要となります。
子どもも大人も生き生きと地域で生活していけるように。
24時間365日対応可能にすることで小児ならではのニーズにも応えていきます。そのために、たくさんの愛と想いのある看護師さんやリハビリのセラピストさんたちが活躍しやすいように環境も整えていきます。
小児看護と子どもたちのための場所づくりに、生涯をかけて挑戦し続けます
私たちは、決して新しいことはできていません。ここまで小児の在宅分野を切り拓いてきてくださった先行の方々に学ばせていただきながら、なるべくご家族のご負担少なくできる様に現状の制度を活用し、それらを組み合わせているに過ぎません。
これからはさらにご利用いただける制度を増やしていくことはもちろん、病気や障がいのあるお子さんを養育されているご家族にも弊社でご活躍いただいたり、子どもたちの居場所を増やせるような事業も展開していけたらと考えています。それには、私たちだけではできないこともたくさんあるので、当事者の皆様や他職種、他の事業所さん、保育や教育関係機関、福祉関係機関、行政などと共同して必要なサービスを増やしていけたら思っています。
子ども自身が周りの人たちに愛されている大切な存在だと感じながら生きられるように、子どもたちが挑戦を諦めなくていいように、子どもを産みたいと思う人が安心して子どもを産み育てられるように、子どもが憧れるような生き生きとした大人が増えるように…、それらを叶えるために一企業がどんなことをできたらいいのか、答えはまだ見つかっていません。一人ひとりに柔軟に対応するためには、大きな企業になることだけが正解ではないのかもしれません。これからも子どもたちとご家族と対話を続け、考え行動し続けるだけだと思っています。
まだ言語化できていませんが、病院でないけれど病院のような、それでいてお家や学校のような、子どもたちがのびのびと過ごせる場所もいずれ作れたらなど、いつまでも「子どもファースト」に私の生涯をかけてどこまでいけるか挑戦し続けます。
ファミリアナース訪問看護ステーション
インスタグラム
https://www.instagram.com/familiarnurse
宮川のTwitter(小児訪看の宮川菜摘)
https://twitter.com/kidsohennurse?s=21&t=v8CuNlhz6Cl27kvMiZowxw
起業前に書き溜めたnote