プレスリリース
企業は「利益」のために経営されるべきか、「パーパス」のために経営されるべきか。ロンドン・ビジネス・スクールのアレックス・エドマンズ教授の著書Grow the Pie: How Great Companies Deliver Both Purpose and Profitでは、それらはトレードオフではなく、両立できることを、膨大な調査・分析から明らかにしています。そして、実現のための具体的なアプローチとして、「パイコノミクス」という概念を提唱し、限られたパイ(価値)を奪い合うのではなく、社会、企業、労働者、消費者、投資家といった様々なステークホルダーが、協働して育てていく視点や方法を論じています。英フィナンシャル・タイムズ紙のBooks of the Year2020に選出された本書は、2023年7月に株式会社ヒューマンバリューから邦訳出版されました(『GROW THE PIE 〜パーパスと利益の二項対立を超えて、持続可能な経済を実現する〜』)。同社の研究員で翻訳に携わった川口大輔、霜山元、長曽崇志の3名が本書の出版に込めた想いを語りました。
人の価値、事業の価値、社会の価値創造への深い示唆に共感し、翻訳を決意
――まず、『GROW THE PIE 〜パーパスと利益の二項対立を超えて、持続可能な経済を実現する〜』の出版に当たり、みなさまの率直な想いをお聞かせください。
川口:ヒューマンバリューは長年、「人材開発」や「組織変革」の実践と研究を行ってきました。出版部門も2005年に立ち上げて、主にHRに関連する書籍を発刊してきました。今回の『GROW THE PIE』はファイナンスの教授が執筆した書籍なので、経済の専門家でない私たちが翻訳・出版するのはやや不思議に思われるかもしれません。
ただ私たちは、人や組織の成長もそれぞれ単体で考えるのではなく、社会や事業にどういう価値を生み出していきたいのかという広い視点で考えるべきだと捉えています。本書では、人の価値、事業の価値、社会の価値創造を統合して考えるための深い示唆が描かれています。そうしたエドマンズ教授の姿勢に共感したところから、日本で出版しようということになったのです。
長曽:今、多くの日本企業がパーパス経営を掲げ、より社会に貢献できる企業への変革を模索していますが、実際にはたやすいことではありません。たとえば自社の「パーパス」を制定することも一つのブームになっていますが、これまでの官僚的な組織運営に対して少しエッセンスが混ざっただけで「本質はあまり変わっていない」と指摘する方もたくさんいます。本書は、パーパスを飾り物で終わらせるのではなく、構造的な課題に真正面から向き合い、実践するヒントを得ることができます。
霜山:企業だけでなく、投資家をはじめとした金融サイドの方にも「利益と社会的インパクトの両方を」という意識が広まっている感覚があります。そうした中で、特に今回、ファイナンスの観点からパーパスや企業のあり様を論じた本書が出たことで、一部の人が頑張るのではなく、社会、企業、労働者、消費者、投資家といったすべてのステークホルダーが協働で取り組むべきことを示していることは、大きな価値だなと思います。
長曽:私自身も銀行からメーカーを経て現在に至っているのですが、ここ3〜4年、金融サイドが変わってきているのも実感しています。自身でベンチャーキャピタルを営む方に話を聞くと、今では出資者からインパクトレポートを求められたり、彼ら自身も「自分たちのパーパスを問われる」と言います。株主として出資する側もサスティナビリティを模索するなど、社会を構成するすべてのステークホルダーが変革を指向しているフェーズであり、本書はそうした時代の要請から生まれたとも言えるかもしれません。
翻訳する中で印象的だった「価値を見つけ出すには、自分たちの『卓越性』を考えよ」というメッセージ
――みなさんが翻訳する中では、どの章が印象的だったのでしょうか?
霜山:私は3章『パイを拡大することは、企業を拡大することではない』と4章『パイコノミクスは機能するのか』が印象的でした。3章はパイコノミクスを実践する際の3つの原理原則、「増幅」「比較優位」「重要度(マテリアリティ)」の原則について話しています。たとえば社会価値につながる長期的な施策や新規事業には正解や前例がなく、何を尺度に投資の意思決定をすべきか、多くの会社が頭を悩ませています。その際、この3原則が非常にプラクティカルで参考になります。
また4章では、社会に価値を生み出し、人材を大事にしている企業は長期的にパフォーマンスが高く、企業価値が高いということを、相関関係だけでなく因果関係でも説明しており、画期的だったと思います。これは経営者にも追い風になるのではないでしょうか。
川口:私は1章の『パイ拡大のメンタリティ』を挙げたいと思います。この章は、「社会に価値を生み出すことによってのみ利益を創出することを目指す」というパイコノミクスの基本概念を示しているのですが、その中で特に、企業が“世の中に害を与えない”こと以上に、“積極的に善を為す”ことを重視しています。
本書の根底に流れる課題意識として、企業や資本主義が世間から失った信頼を取り戻すことがあります。そのためには、失敗を恐れず、積極的に前に出て社会にインパクトを生み出していくことが必要です。「環境に優しい会社を目指す」と銘打った企業だけが努力すれば環境問題が解決するわけではありませんから。本書を読みながら、私自身も行動を起こしていきたいと感じました。
長曽:そういう意味では、私は第3部の『パイをどのように拡大するのか』が響きました。このパートでは、パイを拡大するために何ができるかが、企業、投資家、一般市民それぞれの視点で具体的に書かれています。たとえば8章は企業の実践を取り上げていますが、そこでは『卓越性』がキーワードとなっています。むやみやたらに拡大していくのではなく、「その組織において何が卓越しているか」から、自分たちの軸を決めていくことが大切です。
事例でも、ボーダフォン社がケニアで行ったネット口座システムの提供は、シンプルですがインパクトがありますよね。単に儲けたいだけならば、自国のイングランドで富裕層向けのサービスをやればいい。でも、金融インフラシステムがない国や地域で事業を展開することで企業価値の向上に繋がったのは画期的だったと思います。
霜山:コカ・コーラ社が自動販売機の配達網を使って、医療品やワクチンを届けるという展開も、自社の卓越性をよく理解した話ですよね。先日エドマンズ教授と訳者で対談し、日本企業の例を紹介した際には、ヤマハ発動機さんの取り組みに興味を持たれていました。船外機を売るというビジネスでアフリカに入ったとき、まず漁業を教えて魚を捕るところから始めて、現地のメカニックを育てていったアプローチですね。本書で示している事例は、日本のメーカーにとっても参考になる部分が思います。
川口:一方で、「良いエピソード」に引っ張られすぎないのも重要ですね。自分たちの価値自体を見失う可能性がありますから。
「二項対立を超える」という言葉に込めた意味
――今回、訳者のみなさんで一番議論した部分を教えてください。
川口:サブタイトルに『パーパスと利益の二項対立を超えて、持続可能な経済を実現する』と入れたのですが、この「二項対立」という言葉は随分議論をしましたね。私たちは白か黒かで判断しがちで、0か1かで考えるマインドが強い。その分断的な考え方こそが、企業の価値創造にブレーキを掛けている様をこれまでたくさん見てきました。そこで、馴染みがない言葉ですが、あえて「二項対立」を入れました。
霜山:分断的な思考から統合的な思考に入るためには、何が共通の価値なのかを知るところが入り口なのかなと思います。エドマンズ教授も“What’s in our hand?”と話していましたが、まず自分たちの土台にあるものを確認する必要があるのだと思います。
川口:自分たちの土台にあるもの、つまり内発的な重要度が高い課題だからこそ、短期的な利益を超えて、なぜその課題に取り組むのかを丁寧に説明でき、二項対立を超えていけるのかもしれませんね。
組織のパーパスと個人のパーパスを問うことで議論や内省が深まる
――パイ拡大のマインドセットを育むために、他にどのようなアプローチができるでしょうか?
長曽:前提を省みたり、疑うことも必要ですね。資本市場の仕組みに基づいて金融庁が出したガイドラインに沿って、有価証券報告書や統合報告書を出すこと一つとっても、「他社もやってるから」で運用していることがあると思います。それを変える難しさはあると思いますが、自分たちが行うことがステークホルダーにどのような影響を与えるのかを考えながら、議論をする必要があります。
また、ともすると組織はどんどん内向きになって「利益を上げるにはどうすればいいか?」ばかり議論してしまいます。外にも目を向けて、「どう繋がっていくのか」「どんな共通の価値を見出していくのか」を議論することで、自分たちのパーパスも磨かれて、課題に対しての打ち手も明確になっていくように思います。
霜山;経営陣がパーパスを定めて組織に浸透させていくならば、ちゃんと説明をした上で、そのパーパスに「乗るか、乗らないか」を1年くらいかけて社員に選んでもらう動きがあってもいいと思います。経営陣はパーパスについて、心を込めて説明しつつ、みんなが居続けてくれる組織にしていくことをコミットして話し続ける必要がある。「経営陣はこう考えたけれど、あなたはどう思いますか?」と対話の場を作っていく。そして、社員同士で語って生まれた集合知を新たなパーパスとしてシェアしていくプロセスがあってもいいと思います。
川口:同時に、一人ひとりが「個人のパーパス」が何なのかを考えることも、一つのスタートだと思います。組織とは言っても、個人の集合体です。自分のパーパスがあり、その会社組織に属している理由がある。そして、自分はこの会社組織を通じて何を実現したいのかが会社のパーパスに紐づくと良いですよね。
長曽:マイクロソフト社が変革を行う中で使われた言葉に、「自分たちがこの世界からいなくなったら、世界は何を失うのか?」という問いがあります。これは、ある種究極の問いではないかと思うのです。ステークホルダーから見た「自分たちの存在は何なのか」と。みなさんも自社や自身の組織、あるいは自分自身に、この問いをぶつけてみると、また良い議論や内省ができると思います。
『GROW THE PIE 〜パーパスと利益の二項対立を超えて、持続可能な経済を実現する〜』
https://www.amazon.co.jp/dp/4991159938/
出版社 : 株式会社ヒューマンバリュー
発売日:2023年7月29日
著者:アレックス・エドマンズ
訳者:株式会社ヒューマンバリュー 川口大輔、霜山元、長曽崇志
定価:2,970円(10%税込)
単行本(ソフトカバー) : 646ページ
ISBN-10 : 4991159930
ISBN-13 : 978-4991159930
『GROW THE PIE』探究の旅路
8月24日には、企業の実践者、投資家、アカデミアを交えて出版記念フォーラムを開催しました。
そこでの対話の様子はこちらをご覧ください。
https://www.humanvalue.co.jp/wwd/research/conference/grow_the_pie/forum2023/
ヒューマンバリューでは今後もこうした『GROW THE PIE』について探究する場を開くことを通して、パイの拡大につながる実践をさまざまな形で生み出すことに貢献していけたらと考えています。