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パナソニック ホームズ株式会社

今も現役、築60年松下1号型住宅。住宅開発担当者へ託された想い。「創業60周年。感謝と挑戦を胸に」商品編(1)

(PR TIMES STORY) 2023年03月24日(金)17時09分配信 PR TIMES

パナソニック ホームズは2023年、創業60周年を迎えました。工業化住宅の商品開発者たちに受け継がれる熱い想いや、お客様の憧れを形にする設計者たちの取り組みを全6回で、ご紹介します。

現存する松下第1号住宅を前に、オーナー・藤井様と当時の住宅を振り返る

東大阪市内の一角に、日本における家づくりの近代化に寄与した1棟の住宅が今も残されています。1961年に当時の松下電工株式会社住宅事業部が初めて商品化した「松下1号型住宅」。築60年になる建物は10年ほど前にリフォームが施され、現在は事務所として活用されています。

現存する松下1号型住宅。リフォームを施し、テラスだった場所が玄関に


リフォームを施す前の松下1号型住宅

(画像提供:リフォームを担当された建築設計事務所)

こちらの住宅のオーナーは、藤井友位(とものり)様(85)で、商品化されて間もない1961年当時に藤井様のお父様が建てられました。敷地には、江戸中期に建てられた母屋と、大正期に建てられた離れも現存しており、「松下1号型住宅」はその間に位置しています。「私が大学3年生のときのことで、私が将来結婚した時のためにと父が建ててくれました。ただ、就職してからずっと東京勤務だったので実際に住んだのは学生時代の1、2年だけでした」と、藤井様は当時を振り返ります。

左:パナソニック ホームズ 酒田 陵二 右:オーナーの藤井様

現存する「松下1号型住宅」を前に、パナソニック ホームズにおいて40年近く工業化住宅の商品開発を担当してきた酒田 陵二(パナソニック ホームズ株式会社 参与)が、藤井様とともに住宅の内外を一緒に歩き、開発の歴史を振り返りました。


酒田は「松下1号型住宅」の3つの特長にふれました。まず、当時の大工さんが一棟ごとに手掛けた家づくりを「簡単に、早く、そして精度よく建てられるよう工場で作られた部材を組み合わせた工業化住宅仕様に変えたこと」です。2つ目が、「筋交いを入れず、柱と梁、ボルトだけを組み合わせ接合する軽量鉄骨ラーメン構造に業界で初めて挑み、部屋の空間を生かせるよう自由度を増したこと」。そして3つ目が「雨戸の戸袋に通気口を設けて風通しをよくし、家の中を快適に過ごせるようにしたこと」です。

酒田の話を聞いて藤井様の記憶もよみがえります。「何に驚いたかというと、最初に基礎のコンクリートを置いてから、あっという間に家が建ちあがったんです」。まさに工業化住宅のなせる業でした。「平らな屋根を見て、なんだこれは、と。三角屋根のことしか頭になかったのでその斬新さにもびっくりしました。テラスという言葉も当時、初めて聞きましたし、かっこいい家だなあと思いましたね」。


学生時代を思い出しながら楽しく語ってくださった藤井様


続いて2人は邸内に入っていきます。中は三つの部屋に分かれていて、一番奥が畳敷きの和室、手前の2室は可動式の飾り棚で仕切られていたと言います。「飾り棚はどこでも自由に配置できるようになっていて、2部屋分の空間を使いたいように使えるように考えられていました」と語る藤井様。自由度の高い空間をうまく生かそうとした発想がそこには込められています。藤井様が東京勤務となった後は甥御さんがご結婚されるまでの間、住まわれていたとのことで、11年前に和室の仕切り壁を外してすべてを一室とし、現在は建築設計会社の事務所として使われています。酒田は「松下1号型住宅がこうして大事に守られ、今も使われていることがなによりうれしい」と話します。

 

3部屋分を一つの部屋にリフォームされた室内


60年前から変わらぬ間仕切りドア

「新しい轍をつくる。」わずか3人の企画班が3カ月でこぎつけた第1次試作の住宅

「松下1号型住宅」の発売を前に、1959年から試作は始まりました。当時の松下電工株式会社内に、極秘プロジェクトとして発足したK企画班(「K」は工業化住宅の略称)は、専用工場もない状態で、約3カ月間という短期間に、第1号試作住宅を開発しました。

当時の開発担当者の一人、小林 昭夫は後に、当時のナショナル住宅産業株式会社(現パナソニック ホームズ)の専務取締役を務めた人物です。小林は、一級建築士として海外の先進的な建築を研究する中で、住宅の工業化に興味を持ち、工業化住宅を開発するために、1960年1月に松下電工(当時)へ中途入社しました。入社後すぐに2人のメンバーと共に、3月末までに試作住宅を作るというプロジェクトに携わります。小林らは、短期間でのタスクを成し遂げるために、毎朝アイディアを出し合っては討議し、代替案が示せないなら他人の意見を否定しないというチームのルールを課し、構想企画を練り、設計、図面・仕様書作成を進めていきます。そして、3月29日に約束通り、工場内の空き地に平屋の小住宅2棟の建設を終えました。


第1次試作棟を見学に訪れた松下 幸之助創業者

試作棟お披露目の当日、創業者松下 幸之助と、後にナショナル住宅建材株式会社(現、パナソニック ホームズ)の社長となる、丹羽 正治らが見学。幹部らの目には、当時としてはモダンな片流れ屋根の住宅は、近未来的に映ったようです。その後、第5次まで試作を繰り返し、1961年7月に発売を開始しました。最初のお客様は、創業者松下 幸之助であり、PHP研究所の職員住宅用に建てられました。

「松下1号型住宅」と名付けられた住宅の販売価格は当時、坪単価10万円と木造住宅の1.5倍程度の価格に設定。売り方も社外展示住宅として、大阪市難波の百貨店、高島屋の屋上遊園地に建設するという画期的なものでした。当時としては近代的で知的な明るさのデザインが好評で、医者や弁護士、大学教授といったインテリ層の方に広く受け入れられていたそうです。

高島屋屋上に建てられた展示住宅

ご参考:https://homes.panasonic.com/company/info/history/

松下 幸之助創業者の考えを紡ぐ小林専務取締役(当時)の手作り冊子

「松下1号型住宅」の開発に携わった小林は、酒田が入社した当時は常務取締役で、雲の上の存在だったため、言葉を交わす機会はほとんどなかったと言いますが、小林が退職してしばらく経った2010年頃に再会を果たします。そしてその時に小林から自作の「住宅産業へのアプローチ」と名付けられた冊子を託されます。そこには住宅づくりにかける小林の思いがびっしりと詰まっていました。

「住宅産業へのアプローチ」を手に

「小林さんは建設会社に入った後、大学に入り直して住居学を学び、再び別の建設会社に勤めていたところを新たな住宅の開発に挑もうとしていた当時の松下電工にスカウトされました。まだ海のものとも山のものともわからない住宅開発プロジェクトにはだいぶ苦労したようですが、小林さんはそこにロマンを感じ自らの情熱を注ぎこんだのです」。

中でも、柱と梁をボルトで接合する軽量鉄骨ラーメン構造には大きな壁が立ちはだかりました。しっかりと接合するための強度のある特殊なボルト、また地震時にボルトネジが緩まないように必要なばね座金を求めて、当時最先端のモノづくりが行われていた航空機、造船、自動車工場を訪ねて回り、探し当てました。筋交いのないラーメン構造は地震に耐えられないのではないかと国から疑義が出されますが、何度も耐震試験を繰り返し、著名な大学教授の支援も仰ぎ、何とか認定取得にこぎつけます。酒田には「住宅産業へのアプローチ」の中で最も印象に残っている小林の言葉があります。「情熱と気力、そして責任感があれば結果は後からついてくる」。


酒田は「松下 幸之助創業者の『物心一如による繁栄』という言葉にある、”住まいの器”だけでなく” 住まい手の心豊かなくらし”を商品開発で実現しようという思いを小林が形にしました」とフロンティアの功績を強調します。

「住宅の構造・構法の研究開発に先に、人とくらしの文化を体現する設計・技術が加わり、商品となっていくのです」

創業者・開発者の想いを継ぎ、時代と共に変遷する住宅

「松下1号型住宅」発売から約20年後、1982年に入社した酒田は、商品開発部門に配属されました。1973年のオイルショック後の建築費高騰の中、より多くのお客様に手の届くよう原点回帰で開発され1977年に新モデルとして発売された「大型パネル構法」の構法改良やモデルチェンジを担当。当時は小人数チームの中で、商品企画から開発・流通・販売資料準備までを担当していました。土日出勤や残業も多く、苦労も多かったものの、「諸先輩のアットホームな職場環境に支えられ、何とかやってこられた」と言います。こうした努力が実り、「松下1号型住宅」の流れを汲むR型商品とともに、中心商品となった「大型パネル構法」のF型商品は、1993年には1ヵ月の受注棟数が942を数えるまでに広がりました。


酒田はF型商品についてこう語ります。「自由設計型のR型商品と異なり、建築合理性を追求した大型パネル構法は、くらしニーズの最大公約数を再現する工夫が盛り込まれています。お客様にゆとりの空間をお届けするために、大きなダイニングテーブルを囲むことで家族のふれあいを高める空間対応や成長する子どもに合わせて可変可能な設計システムを採用しました。」


松下 幸之助創業者の『住まいは雨・露をしのぐだけでなく、人間形成の道場である』といった考えは、『豊かな四季を享受し、快適に暮らせる住まいをつくる』といったパナソニック ホームズの住宅開発へと受け継がれ、商品の構造や設計へと反映されています。

「サンヴァリエ」高いコストパフォーマンスと“新・くらし文化”思想のもと、健康快適な住空間提案が好評でした。

ご参考:https://homes.panasonic.com/company/info/history/04.html


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スローガン「新・くらし文化の創造」に込められた想い

1986年元旦に当社の企業広告に掲げられたスローガン「新・くらし文化の創造」は、パナソニック創業の心を基本に、これからの時代にふさわしいくらしの文化をつくり、次代へ継承するという思いが込められました。小林 昭夫は、スローガンに込められた意味を、すまいのくつろぎ空間を考える場合、心理的に安心感のあることが第一であり、基本になるのは「人とのふれ愛」、「自然とのふれ愛」だと解説しています。

ご参考:https://homes.panasonic.com/company/info/history/03.html

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次号は、お客様の満足度を高めるために、設計のプロフェッショナルとして日々研鑽を行い、商品に命を吹き込む担当者たちの取り組みをご紹介します。(2023年3月31日公開予定)



◎パナソニック ホームズ株式会社について

商品ページ:https://homes.panasonic.com/

企業情報ページ:https://homes.panasonic.com/company/

公式Twitter:https://twitter.com/panasonic_homes

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