プレスリリース
今年20周年を迎えた株式会社ダーツライブは、創業以来「ダーツ」の普及と発展に尽力し続けてきました。
当時、決してメージャーとはいえなかったダーツですが、創業と同時にローンチしたオンラインダーツマシン「ダーツライブ」(※1)は、全国2900店舗・7600台、月間1,220万プレイされるまでに成長。現在では、バーだけでなくカラオケやボウリングで遊べる複合施設やゲームセンター、ネットカフェなど、身近な場所で楽しまれるようになり、最新の調査では日本人の21人に一人(※2)が過去一年以内にダーツをプレイしたという結果がでています。
そんな急速な発展を遂げているダーツ市場。そこで今回は20周年を記念し、ダーツライブの開発に携わった3人の社員に、当時の話と今後について語ってもらいました。
「ダーツライブ」開発メンバーの3人。写真左から山本さん、野田さん、越沼さん
※1 ダーツマシンをネットワークに接続し、専用ICカードと連携させることでプレイデータ等を記録するサービス。ダーツライブがICカードへの連携とプレイデータ記録システムを開発した
※2 各種数値データは2023年3月末時点のもの
まず、ダーツライブが誕生する前の日本のダーツ事情はどうだったのでしょうか。
野田:開発が始まったころ、いわゆるダーツバーと呼ばれる店はほとんどなく、飲み屋さんにダーツマシンが置いてあるという感じでした。 マシンの台数は国内全体で1000台に到達していない程度。約9割はアメリカで開発されたメダリスト社のマシン(※3)でした。
山本:当時のプレイヤーのレベルはハットトリックが出たら大騒ぎするくらい。カウントアップでは500点いったら「すげー!」みたいな。 (※4)
野田:今のプレイヤーのうまさは異常ですよね(笑)
※3 1980年代にアメリカで開発された自動計算ができるソフトダーツマシン
※4 「ハットトリック」は1ラウンドで3本ともブル(的の中心)に入れること。「カウントアップ」は0からスタートし加点していくダーツの王道ゲーム
どのようにしてダーツライブの企画が立ち上がったのですか?
野田:私たちはセガの第3AM研究開発部というゲーム開発をする部署にいました。その部署が会社化してヒットメーカーという会社(※5)になり、そこの会社の社長である小口さんのアイデアで企画が立ち上がりました。
山本:そのころ、小口さんがダーツにハマっていて毎日のようにダーツを投げに行っていたんです。ある日突然「ダーツをネットワーク化するぞ!」と、社長直々の肝いりのプロジェクトで始まりました。
野田:当時のダーツマシンは1ゲーム毎のスタッツの自動計算はできたものの、大会に出るためには自分でスタッツを紙に書いてレーティングを算出しないといけなかったのです。バーでお酒を飲みながら紙に計算するのはすごく面倒で。グラスの水滴でぐちゃぐちゃになることも多々ありました。そこで「ICカード認証し、ネットワークを通じて記録できるようになったらいいのに」と思いついたアイデアがダーツライブの原点になりました。
越沼:小口さんを中心に周りの若手の先輩たちもダーツにハマっているというのは耳にしていました。でも「え?ダーツ?本当にプロジェクト化するの!?」ってびっくりしましたね。
山本:セガはゲームの会社なので、周りの社員にも「あの人たちゲームも作らずダーツで遊んでる」という目で見られていたと思います。オフィスの端っこのほうで「邪魔しないからね、大丈夫だよ!」という感じで開発していました(笑)
野田:そうそう、開発中にダーツを投げると打撃音がするので周りに響いて迷惑がかかるので毛布を盤面裏に入れて音が出ないようにしてましたね(笑)
※5 かつて存在したセガの子会社。ダーツライブの前身
1番最初の「ダーツライブ」は、メダリストのマシンにキットをつけてネットワーク化したマシンでしたよね。なぜイチからマシンを作らなかったのでしょうか。
野田:僕たちはゲームの開発をしていましたが、ダーツのノウハウは持っていません。大会もプロモーションもできない。そして市場にはメダリストのマシンが9割。そんな状態だったので、メダリストと一緒に合弁会社を作って日本市場を育てていきましょう、ということで株式会社ダーツライブが立ち上がりました。
山本:市場にあるマシンをリプレイスするのも難しいし、すでに置いてあるメダリストのマシンにコンバージョンキットをつけることなりました。 コンバージョンキット、通称「弁当箱」ね(笑)最終的に電源やらPCやらくっつけたら小型冷蔵庫サイズになったけど、みんなは弁当箱って呼んでました。 このコンバージョンキットを既存のマシンにつけるとネットワークにつながって、ダーツライブサービスで遊べるようになりました。
野田:あとは、個人事業主のお店が圧倒的に多かったので、とにかく無駄を省いてできるだけ安く作ろうという思いがありました。
山本:すでにお店にあるのにもう一台買ってもらおうっていうのは難しい。低価格で作ってすでにお店にあるマシンに付けてもらおうとなりました。
マシンに通称「弁当箱」を取り付けている様子
一番こだわったことは何ですか。
野田:こだわったことはたくさんありますよ。まずはブル音。メダリストのブル音が最強に良かったからそこを壊しちゃいけないというのがあって。そこは川口さん(※6)とめちゃくちゃこだわりましたね。アワードもそうです。スリー・イン・ア・ベッド(※7)やホワイトホース(※8)など、出た時はものすごくうれしいですよね。「見て見て!」って言わせるような尺や音をこだわりました。
山本:僕はお客さん同士のコミュニケーションをどう作るかはこだわりました。ダーツバーってなんか分からないけど、いつもいる人いるじゃない?(笑)画面に名前が出てると「あの人ああいう名前なんだね」ってわかるとか。いまどこみたいに、「私ここにいるよ」と発信を自動的にできるとか。めんどくさいコミュニケーションじゃなくて、自然なものを目指しました。
※6 セガのサウンドクリエイター。通称Hiro師匠
※7 ダーツゲームの一つ「クリケット」で3本とも同じエリアのダブルかトリプルに入れること
※8 「クリケット」で3本異なるダブルかトリプルのエリアに入れること。難易度が高い技として知られている
ダーツライブがヒットした理由はなんだと思いますか。
野田:やっぱりコミュニティを重要視したことがヒットにつながったと思います。ダーツってそもそも対戦して遊ぶものだし、そこはやっぱりコミュニティを意識したコンテンツを作りました。
山本:価格設定が良かったこともヒットの要因のひとつだと思っています。あとは、やっぱり開発してた僕ら自身が、みんなが好きなことを一生懸命やっていましたよね。自分たちが楽しいと思うものを作っていったことが良かったんだと思います。
越沼:「ダーツ×〇〇」の掛け合わせが良かったのかなと思います。ダーツという遊びをどうやったら、どれだけ魅力的なものにできるのかみたいな部分がうまくいったんだと思う。 ダーツだけでもダメだったし、そこにどれだけのものを乗っけるかというところでアイデアをどんどん導入できたってところが要因かなと。
20年を振り返ってみて一番印象的なことは何ですか。
野田:渋谷の大型ダーツバーで行ったダーツライブお披露目のことですかね。約1年開発を行い、やっとオンラインでのダーツをお披露目できる日。なのに直前でネットワークにつながらなくなったという伝説の事件です。あの時の焦りと言ったら…。山本さんがひらめいて渋谷の電気屋にルーター買いに行って、お披露目5分前にやっとネットワークがつながったんですよね。あの時のことは本当に印象に残っています。鮮明に覚えてますね。夜どっと疲れました。
山本:僕も一番はそれです。トラウマですよね(笑)
越沼:私もお披露目の日のことはよく覚えてます。私は現地の事件のことは会社で聞いていました。最後にネットワークにつながって「お客さん来てるよ」と聞いたときは本当にほっとして、社内にいた人と「ああ、よかったね」と喜び合いました。
山本:もちろんネットワークのテストはしてたけど、現場って不思議なことが起きるんですよね。マシンを12台ネットワークにつないだのは初めてでした。あの時は本当にみんなパニくってたよね。
野田:あとは、2006年に東京ビッグサイトで開催したダーツライブパーティーは感動しました。あれだけの人が自分たちが作ったもので遊んでいる光景は忘れられません。
山本:最初のダーツライブパーティーはサーバーが止まったらどうしようって不安でした。だって、全部オンラインで100台動いてるんだよ、100台。しかもオールナイトで。ここで止まったらもうつるしあげですよね(笑)
2006年にオールナイトで開催された「ダーツライブパーティー」
自分たちが作ったものが20年経っても遊ばれていることについてどう思いますか。
越沼:旅先で偶然「あっ、ここにもダーツライブある!」みたいなことがたまにあるんですが、開発時は想像できなかったですね。当時は、単純に面白いものを送り出したいという気持ちで携わっていましたが、こんなにも長くサービスが受け入れられているなんてすごいな、と改めて思います。
野田:本当に感謝ですよね。当初国内で1000台をいったら御の字、と言っていました。でも今や約7600台設置されているわけで。 プロジェクト発足時は20年続くとか考えたこともなかったです。当時セガではゲームは長くて4~5年。短いと半年と言われていました。でも小口さんは「ダーツを30年続けるぞ!」と言っていて、まったくピンとこなかったんです。でももう30年もあと少し。そのころには還暦超えてますよ。
山本:僕は、サーバーは一万台行く想定でしたよ。タイムスタンプは2038年まで持てばいいと思っていましたけど。とは言え20年は本当すごいよね。
これからのダーツライブはどうなっていくのでしょうか。
野田:ダーツライブはネットワークを取り入れてダーツ業界、ユーザーに「!」を仕掛けた。 ダーツライブ2では盤面を光らせ初心者にもわかりやすくすることで更に「!」を仕掛けた。 私が思うダーツライブは、最初は違和感を感じられるかもしれないが先々定着するような、ユーザーに常に「!」を仕掛けていくものであってほしいと思っています。
この先、さまざまなスタッフが開発に携わっていくと思いますが、常に時代の先を行く「!」を仕掛けたものを取り入れて進化することと思います。
山本:ダーツは基本のプラットフォームとして、そのうえにさらに遊びを構築できるようになっているのが望ましいんだろうなと思っています。
越沼:常にその時流や空気感をとりこんで、 正当な進化を続けた”未来のダーツライブ”になっているのではと思います。ダーツという土台の核心は変わらないけれど、時にしたたかに時に大胆に変化をしながら、今とは全く予想のつかない形になって、しかしなお愛されるものになっていたら嬉しいです。
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ダーツライブ公式ブログ「シャイン」では、他にも創業20周年を記念した特別インタビュー記事を公開中です。
「ブームではなく文化へ」ダーツライブをヒットに導いた社員たちの想い
ダーツライブ登場後、「ダーツ」はブームに。そんなブームを支えた社員が当時の様子を振り返ります。
物心ついたころから身近に「ダーツライブ」があったZ世代の若手社員。彼らの想うダーツライブを語ります。
■ダーツライブ20周年特設サイト
https://www.dartslive.co.jp/20th_anniversary/
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