プレスリリース
「災害は必ず起きる。だからこそ備えてほしい」そんな想いで、住民の証言映像を提供する伝承施設「南三陸311メモリアル」の成り立ちと伝えたい想い
「南三陸311メモリアル」は、2022年10月に宮城県南三陸町に誕生した東日本大震災の伝承施設です。東日本大震災に纏わる伝承施設としては、最後発と言われるタイミングで開館しました。施設の規模は決して広くはなく、メインコンテンツは住民の証言映像を基に制作されたラーニングプログラムという変わり種、更には他の伝承施設で目にする"被災した物品"の展示も館内にはほとんどありません。それでもこの施設を訪れた多くの人々が、自分自身の命について、また家族や友人と自然災害について改めて話し合い、考え直すきっかけになったという感想を寄せています。
訪れた人々が「他の伝承施設とは違う」と口を揃えて言うその理由は何なのか。
そして人々の心はなぜ動かされるのか…?
施設のメインであるラーニングプログラム、その完成に至るまでの設計に、人々の心が揺れ動く仕掛けがありました。
「南三陸311メモリアル」に構想段階から携わり、現在は施設の顧問として訪れる人々にメッセージを伝え続ける高橋一清さん。
高橋さんとともに、伝承施設の成り立ちについて振り返ります。
●災害に対する備えのあった町を襲った想定以上の大津波。被害を最小限に抑えるために何をすべきだったのか。
2011年3月11日に発生した東日本大震災。地震発生直後、当時役場職員であった高橋さんは他の役場職員同様、災害対策本部が置かれた防災対策庁舎にいました。そこで高橋さんは上司の指示により、避難所の様子を確認する為、高台にある志津川中学校へ向かうことになりました。この行動が、高橋さんと防災対策庁舎に残る役場職員の運命を大きく変えることとなります。
防災対策庁舎を離れた高橋さんは、ほどなくして指定避難場所である志津川中学校に到着しました。そこには既に避難してきた多くの町民の姿があり、その場は騒然としていました。当初津波の高さを5メートルと予測していた防災無線から流れる情報は10メートルに切り替わり、住民の間に緊張が走りました。
そして本震の発生から約40分後、津波が町を襲います。
つい先ほどまで自分がいた防災対策庁舎が屋上まで波に飲まれ、町が消えていく様をただ呆然と見つめることしか出来ませんでした。
南三陸町は、昭和35年のチリ地震津波をはじめとする過去の自然災害の経験から、毎年町ぐるみの防災訓練を実施する等、災害に強いまちづくりを目指していました。町民の防災意識は高く、津波に対する備えも万全とまでは言わないまでも、高い水準を保っていました。しかし、東日本大震災で発生した津波はあらゆる想定を超える規模で町を襲い、多くの尊い人命や財産が一瞬にして失われたのです。
どうすれば被害を最小限に押さえることが出来たのか、そして命を失わずにすんだのか。
高橋さんの葛藤の日々が始まりました。
震災で被災したモノに依存せず、自然災害に備え、「自分の命を守る」ために必要な行動を考えるきっかけを提供
東日本大震災の発生から10年以上の年月が経過する中で、三陸沿岸地域には被災当時の姿を色濃く残す震災遺構や被災物を展示する伝承施設が続々と誕生しました。これら破壊された建造物や物品は、地震や津波の威力や恐ろしさを直接伝える効果が期待されます。
しかし、高橋さんをはじめとする南三陸町の伝承施設を企画する関係者の間に、こんな疑念が生じました。
「人々から東日本大震災の記憶が薄れつつある今、果たして最後発となる南三陸町の伝承施設も、他の伝承施設と同様、遺物等の展示で人々の心を動かすことは出来るのだろうか。」
「被災した市町村にしか出来ない伝え方があるのではないか。」
散々検討した挙句、他の市町村の伝承施設とは全く異なる手法を用い、東日本大震災を、ひいては自然災害に対する備えを伝え継ぐことに決定しました。
それは"自然災害の恐ろしさ"に焦点を当てるのではなく、来館者に「自分の命を守るためにはどう行動すべきか」という問いを投げ掛け、来館者同志が話し合い、考える時間を設けるというものでした。
実際に被災した際にどう判断し、行動したことで命を守ることが出来たのか、或いは何が避難の妨げになるのかということを深く理解してもらい、来館者の中に新しい"気づき”を芽生えさせ、それを持って帰ってもらおうと考えたのです。
そこで取り入れたのが、南三陸町に住む人々の被災当時を振り返る証言映像を基にしたラーニングプログラムでした。
●他者と対話をし、「"気づき」"を持ち帰るラーニングプログラム
南三陸311メモリアルのメインコンテンツである「ラーニングプログラム」は、ただ漫然と住民の証言映像を視聴するものではありません。証言映像の合間に参加者に対して問い掛けが差し挟まれ、初対面である参加者同志が約1分間話し合い、意見交換する時間を設けています。このプログラム構成をディレクション担当者から聞いた時、高橋さんは、「初めて会う人同士だなんて、きっと恥ずかしくて会話なんてしてくれないよ…」そんな風に考えていました。
しかし開館してから1年、良い意味で期待を裏切られました。プログラムの参加者達が、その場に居合わせた人々と意見を交わしている姿が普通の光景になりました。
そこにはスタッフ1人1人がラーニングプログラムを提供する中で、参加者のみなさんの雰囲気を感じ取りながら、プログラムをガイドしていくことで、自然と対話がしやすい環境になったというのも1つ理由としてはあると思います。参加者たちが、それぞれの防災について会話をしている様子をみると「あぁ伝わっているな」と思い安堵し嬉しく思います。ここでの会話が、南三陸から日常に戻った際にも防災を意識する”きっかけ”になってくれたらと願っています。
高橋さんは言います。「プログラム終了後の解説では、私たちスタッフも毎回異なるメッセージを参加者の皆様へ届けるよう心掛けています。対話をしながら出てくる気付きは、参加者を取り巻く環境や対話する相手によって様々です。私たちは、その都度会話を聞きながら何をメッセージとして提供して持ち帰ってもらおうか考えています。」
●「町民の生の声」を聞いて、自然災害を自分ごととして捉えるを大切に
多くの町民を対象としたインタビュー収録は、311メモリアルのディレクターを中心として2020年から始まりました。町民たちは、震災から月日が経った今だからこそ話せる貴重な体験を語ってくれました。様々な立場で被災した人々の体験談が集まる中、高橋さん達は「ラーニングプログラムの短い所要時間の中で、しっかりとメッセージを伝えたい」と考えるようになりました。そこでプログラムごとに"伝えたい"テーマを決め、それに合わせて地域住民へ再度声掛けし、インタビューを繰り返す日々を送りました。
※ラーニングシアター内で当時を振り返る地域住民の証言
参加者に伝えるメッセージは、「防災グッズを備えましょう」等の単純な提案ではなく、「想定外の事態が起こった際、どう行動すべきか考えてみましょう」というような問い掛けを盛り込んだ構成にしています。「参加者に町民の生の声を聞いていただき、自然災害を自分ごととして捉え、考える時間を共有してもらいたい」そう思ったからです。
●住民の記憶と経験を伝え、「1人1人の命に向き合う」ための施設の導線設計
「ラーニングプログラムが素晴らしかったので、映像を私達の街でも上映したい」
大変有り難いことにこのようなご提案をいただくことが多々ありますが、全てお断りしています。このプログラムは南三陸町で受講することに意義があると考えているからです。
ラーニングプログラムは、震災当時の人々の感情や心境に寄り添いながら、自分自身の防災について考えてもらうことを目的としています。このプログラムを施設のメインコンテンツとする為に、施設内の導線も以下のように工夫を凝らし設計しています。
まず、住民の記憶と経験を伝える展示ギャラリーへ足を運び入れます。入口では、住民の証言映像から切り取られた複数のコメントが来館者を迎え入れます。被災した人々の悲鳴にも感じられるような、心の底からの感情を吐露したような声が、足を踏み入れた瞬間に気持ちをざわつかせます。展示ギャラリーでは、現在も町に残る震災遺構・防災対策庁舎の屋上で助かった方々の、当時を振り返る証言映像が流れています。来館者は、証言者達が当時の置かれていた状況に感情移入してしまい、つい言葉を失ってしまう人も多くいらっしゃいます。
展示ギャラリーからアートゾーンへと進むと、暗闇の中に設置された現代アーティスト・クリスチャン・ボルタンスキーのインスタレーションが目の前に広がります。生涯をかけて生と死に向き合ってきた彼が表現した"1人1人の命に向き合う"ということを静寂の空間の中で感じ、来館者が”頭で考える”のではなく”心で感じる”準備ができる空間となっています。
これら導線の全ては、ラーニングプログラムをベストな心理状態で受けられるような設計となっています。
また、施設に留まらず、南三陸町という町に訪れたからこそ得られる感情があると考えています。町の中心部が失われ、10メートル以上嵩上げされた光景、活気のある商店街と震災遺構・防災対策庁舎という相反する存在が目の前に広がるこの場所だからこそ、「自分の身の周りで大災害が起こるはずはない」という思い込みを越え、自分が置かれている
立場での”まさか”に備えることができる場所です。
自然災害はいつ・どこで遭遇するかわかりません。自分自身にとっての"防災"について考えるきっかけとして「南三陸311メモリアル」を活用してほしいと願っています。