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プレスリリース

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合同会社末吉製茶工房

30歳で地元に戻り、家業の茶園を継いだ3代目の挑戦。お茶の先にある余韻のある暮らしを世界中に届けるために。

(PR TIMES STORY) 2023年08月31日(木)15時34分配信 PR TIMES

合同会社末吉製茶工房は、鹿児島県曽於市で日本茶の栽培から製造・販売までを一貫して手がける会社です。「お茶で繋がる。」「余韻のある暮らしの創造」「届くべきところに届くまで」をモットーに、丁寧に仕上げたお茶と、その先にある暮らしを皆様にお届けしています。


代表の又木健文(またきたてふみ)は、祖父の代から続く茶園の3代目になります。30歳の時に、公認会計士として勤めていた監査法人を辞めて家業を継ぎ、末吉製茶工房を起ち上げました。なぜ安定した職を手放し、斜陽産業ともいわれる日本茶の世界に飛び込んだのか。本ストーリーでは、末吉製茶工房創業の経緯と、又木がこれからのお茶作りに込める想いをお伝えします。


祖父の代から続く妥協しないお茶作り

鹿児島県と宮崎県との県境にあり、壮大な霧島連山を望む自然豊かな山間の土地にある曽於市は、高級茶の産地として有名な京都と比較的似た地理的条件、気候条件を有しています。南国で暖かい鹿児島は、毎年、日本で最初にお茶摘みが始まる土地ですが、曽於市は鹿児島の中でも平均気温が低く、静岡と大体同じ頃にお茶摘みが始まります。寒暖差の大きい曽於市で育つ茶葉は、他産地と比べて茶樹がじっくりと時間をかけて成長するため、香りが豊かで高品質であるのが特徴です。



末吉製茶工房の茶畑も、祖父の代から変わらず曽於市末吉町にあり、創業以来ずっと畑作りからお茶の仕上げや販売までを一貫して行い、真摯にお茶と向き合いながら常に技術を磨き続けてきました。畑から販売までを一貫して自社で手掛ける「自園自製自販」という経営方針だからこそ、お茶作りのどの局面においても妥協せず、こだわりを持って取り組んでいます。


栽培方法は、収穫前の2週間程度、茶畑を遮光資材で覆い、日光を遮って生育する「被覆栽培」を採用。被覆栽培は重労働で手間暇がかかる上に、光を強制的に遮るという自然の世界では不自然なことを行うため、日光を遮らずに露天で栽培する茶樹と比べると収穫量は落ちてしまいます。それでもお茶の味や香りといった品質を重視し、お茶の緑色が濃くなり、渋みが少なく、旨みや甘みが増す被覆栽培にこだわっています。


祖父の代から変わらぬ「最後に飲んでくれる人が美味しいと感じるお茶が本当に美味しいお茶」という考えに従い、お客様が美味しいと感じるお茶を作ることを大切にし、お客様の声を聴いてお茶作りに還元することが私たちの使命です。


監査法人を辞めて日本茶作りの世界へ

高校卒業後は地元を離れ、東京の大学に進学しました。大学卒業後は、公認会計士の資格を取得し、大手監査法人の福岡事務所に就職。上場企業等の監査や、IPO(上場支援業務)等に従事しました。しかし、いつかは家業を継ぐという想いがあり、30歳になる節目の年である2017年に監査法人を退職し、地元に帰ってきました。


家業を継ぐと決めたものの、直面したのは厳しい現実でした。まず強く実感したのは、現在のお茶業界が大きく変動していること。近年はペットボトル飲料の需要拡大にともない、昔ながらの急須で淹れるお茶を飲む人は減ってきています。それは農林水産省から発表されているお茶の生産量および消費量のデータや、実家に保管されていた過去からの確定申告書を見ても明らかでした。公認会計士としての知識や経験から、お茶業界に関しても茶園の経営に関しても、このままではまずいという非常に強い危機感を抱きました。


また、長年培われた技術を継承していくことの難しさも痛感しました。お茶作りは個人の能力や経験値によるところが大きく、同じように作業しても簡単に再現できるものではありません。昔からお茶の粉まみれになって働く父を見て大変な仕事だと覚悟はしていたものの、想像をはるかに超える作業量。帰ってきた当初は、茶畑での作業から茶工場での製造、仕上げ作業など、一年間の流れを一つひとつ覚えていくことから始まり、作業をしているうちに気づけば一年が終わっていたという感覚でした。


そして改めて、父や祖父をはじめ、お茶作りに携わってきた先人たちの情熱と技術の奥深さを感じました。


自園自製自販は他社には真似できない強み

実際にお茶作りをし、関係者の方々との交流も生まれる中で、お茶業界の商慣習や、昔からの当たり前も肌で感じるようになりました。お茶業界では生産者(茶農家)、問屋(茶商)、小売業者(茶葉専門店等)がそれぞれ分業、専門化されているのが一般的です。急須で淹れるお茶が日常的に飲まれ、需要が大きかった時代には、それぞれの専門性を高めることで売上が伸びていました。


しかし、急須で淹れるお茶の需要が落ち込む今の時代においては、この構造と時代の流れとが少しずつずれてきて、構造のマイナス面が表出してきているように感じます。例えば、分業によって閉塞的な環境が助長され、横の繋がりを超えて新しいことに挑戦する空気が生まれにくくなっていたり、生産者と消費者との距離が遠く、消費者の声が生産者に届きにくいという欠点が挙げられます。


とはいえ、これまで生産に特化してきた茶農家が、それらの障害を乗り越えようと自ら仕上げ加工を始めるためには、専用の設備投資が必要になるだけでなく、技術の研鑽にも多くの時間を要します。また、小売り用の商品を作ったとしてもそれがすぐに売れるほど現実は甘くなく、新たに自園自製自販に取り組むには、リスクが大きいのが実情です。



そうしたお茶業界の中で、自分たちでお茶を作り、仕上げて、お客様に直接販売する自園自製自販の経営、それを可能にする祖父の代から受け継がれている技術は非常に稀有であり、他社には簡単に真似できません。お茶業界の大きな変動や業況に対する危機感を抱く一方、他社と差別化できる強みがあることで、小さいながらも生き残っていく希望はまだある、とも感じました。

より多くのお客様にお茶を届けるために会社を設立

祖父や父がこれまで行ってきたお茶作りは、主に地元の方に向けたものでした。しかし、お茶の需要そのものや周辺地域の人口が減少している現状では、これまでどおりの経営を続けてもいつかは事業を畳まなければならない水準にまで売上が落ち込むことは、目に見えています。


今は、全国各地はもちろん、世界中と繋がる環境が整っている時代です。ですので、もっとたくさんの方と双方向のコミュニケーションをとることで、これまで曽於市のお茶を知らなかった人にもお茶を届けることができるのではないか。資源の限られた小さな茶農家がこれからもお茶作りを続けていくためには、自分たちの強みをさらに生かす道に進むことが最も効果的かつ効率的なのではないか、と考えました。


そこで、まずは未来のお客様に知ってもらうため、お客様との双方向のコミュニケーションを実現するための窓口として会社を起ち上げることにしました。これが「合同会社末吉製茶工房」の始まりです。

お客様一人ひとりとのコミュニケーションを大切に

自分たちのお茶づくりのことを知ってもらうために、会社を起ち上げて最初に行ったのは、ホームページやSNSの開設でした。また、全国どこからでも末吉製茶工房のお茶を購入できるよう、オンラインショップでの販売も始めました。


ホームページやSNSは、ただ更新するだけではなく、発信する言葉が専門用語にならないよう気をつけ、お客様にきちんと伝わるかどうかを意識しています。また、お客様一人ひとりとのコミュニケーションを大事にするため、ご注文いただいた方には毎回直筆の手紙を同封しています。


さらに、お客様に直接お茶を届けるため、その場で淹れたてのお茶を味わえるキッチンカーも始めました。地元の曽於市を拠点として、鹿児島県内だけでなく県外各地でも出店しています。淹れたてのお茶と、お茶を使ったアレンジメニューは好評で、お客様から直接「美味しい」と反応をいただけることは何事にも代えがたい喜びです。


お茶が生み出す「余韻のある暮らし」を届け続けたい

真摯にお茶作りに向き合い続けた結果、今ではほんの少し前まででは考えられないくらいの多くの方に末吉製茶工房のお茶をお届けできるようになりました。さらには、食のオスカーとも呼ばれる「Great Taste Awards」(イギリス)で最高3つ星、パリで唯一の日本茶コンクール「Japanese Tea Selection Paris」(フランス)で最優秀賞、世界最高のリーフティーの祭典「The Leafies」(イギリス)で最高金賞を受賞するなど、国際的なコンテストで高い評価をいただくこともできました。



祖父の代から目の前のお客様の期待に応えたいという想いで続けてきたお茶作り、そして磨いてきた技術が、普段日本茶を飲まない海外の方からも高い評価を得られたことは自信にも繋がりました。それと同時に、より高みを目指すために、今まで以上に丁寧にお茶作りに取り組んでいこうと、改めて決意するきっかけにもなりました。


日本茶は、ただ喉を潤すだけの水分補給ではなく、人と人との縁を繋いでくれるもの、和みの空間を生み出してくれるもの、日々の暮らしに余韻を与えてくれるものだと思います。末吉製茶工房は、300年先も、お茶と、お茶を通じて創造する「余韻のある暮らし」を届け続けることを理念としています。これから先、もっと多くの皆様に必要としていただけるよう、ご縁に感謝し、世界中に日本茶の魅力と余韻を届けられるよう精進していきます。

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