プレスリリース
川端康成没後50年にあたる4月を期に、川端の私小説でもある、BL作品『少年』を新潮文庫より刊行いたします。今作は、これまで全集でしか読めなかった、貴重で珍しい作品。1冊の本になるのは、目黒書店より単行本が刊行された1951年以来、70年ぶりのことです。
旧制中学の寄宿舎で、川端が愛した〈美しい後輩の少年〉。ひそやかな二人の特別な関係とは。
互いにうなじも唇もゆるしあっていた二人の間に起きた出来事と、痛切な別れ……。本作を執筆するまで封印していた青春の蹉跌とは。
『伊豆の踊子』につながる川端文学の原点に〈BL〉があったとは――。瞠目の問題作、いよいよ3月28日、発売です。
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1968年にノーベル文学賞を受賞、72年に突然の自死を遂げた川端康成。
日本を代表する文豪が、少年時代、〈ヤングケアラー〉ともいえる悲惨な暮らしをしていたことは、あまり知られていません。
大阪市天満此花町に生まれた川端康成は、幼くして父母を亡くし、七歳にして祖父と二人で暮らすようになります。家計は貧しく、大坂府立茨城中三年生の時は、学校から帰ると病中の祖父を介護し、世話をする日々。尿瓶の底に響く小水の音を「谷川の清水の音」と表現した感性の持ち主でしたが、客観的にみれば、まさしく「ヤングケアラー」の典型でした。介護の甲斐もなく祖父が死ぬと、文字通り独りになった川端は16歳にして中学の寄宿舎に入り、卒業までここで過ごすことになります。
十代の川端が、孤独と屈折を抱えていたことは想像にかたくありません。そんな川端の前に現れたのが、同室の美しい後輩「清野少年」でした。
川端は二人の関係を赤裸々に書いています。
――お前の指を、手を、腕を、胸を、頬を、瞼を、舌を、歯を、脚を愛着した。
――床に入って、清野の温い腕を取り、胸を抱き、うなじを擁する。清野も夢現のように私の頸を強く抱いて自分の顔の上にのせる。私の頬が彼の頬に重みをかけたり、私の渇いた脣が彼の額やまぶたに落ちている」
(以上本文より)
うなじも唇もゆるしあっていた川端と少年。
しかしある出来事をきっかけに、少年と会うことを完全に止めてしまいます。川端22歳の夏、京都嵯峨での事でした。唐突な別れの裏に何があったのか。川端が「妬み」と書いたのはなぜなのか……。
川端は作中で、自分の心を次のように吐露しています。
――幼少から、世間並みではなく、不幸に不自然に育って来た私は、そのためにかたくななゆがんだ人間になって、いじけた心を小さな殻に閉じ籠らせていると信じ、それを苦に病んでいた。人の好意を、こんな人間の私に対してもと、一入ありがたく感じて来た。そうして、自分の心を畸形と思うのが、反って私をその畸形から逃れにくくもしていたようである。
自分の心を「畸形」と書く、痛ましく淋しい自己認識。さらに、「清野少年と暮した一年間は、一つの救いであった。私の精神の途上の一つの救いであった」とも書いています。
ではなぜ、あれほど愛した少年との交流を絶ったのか。川端の孤独な魂にとって「少年」とはなんだったのか。そしてなぜ後年、50歳になった時に、本作『少年』を書くことにしたのか――。
作家の精神の謎は容易に解けるものではありません。しかし、50年前の自死の謎を考える手がかりが本書にあるとしたら、まぎれもなく〈BL文学〉の名編といえるのです。
■著者紹介
川端康成(1899-1972)
1899(明治32)年、大阪生れ。東京帝国大学国文学科卒業。一高時代の1918(大正7)年の秋に初めて伊豆へ旅行。以降約10年間にわたり、毎年伊豆湯ケ島に長期滞在する。菊池寛の了解を得て1921年、第六次「新思潮」を発刊。新感覚派作家として独自の文学を貫いた。1968(昭和43)年ノーベル文学賞受賞。1972年4月16日、逗子の仕事部屋で自死。著書に『伊豆の踊子』『雪国』『古都』『山の音』『眠れる美女』など多数。
■『少年』内容紹介
お前の指を、腕を、舌を、愛着した。僕はお前に恋していた――。相手は旧制中学の美しい後輩、清野少年。寄宿舎での特別な関係と青春の懊悩を、五十歳の川端は追想し書き進めていく。互いにゆるしあった胸や唇、震えるような時間、唐突に訪れた京都嵯峨の別れ。自分の心を「畸形」と思っていた著者がかけがえのない日々を綴り、人生の愛惜と寂寞が滲む。川端文学の原点に触れる知られざる名編。
■書籍データ
【タイトル】少年
【著者名】川端康成
【発売日】3月28日
【造本】文庫
【本体価格】539円(税込)
【ISBN】978-410-100106-7
プレスリリース提供:PR TIMES