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株式会社エフエム仙台

120年前「恋人」を詠んだ短歌が現代に蘇る? 明治の歌人・国文学者 落合直文 × シンガー・ソングライター 熊谷育美 時空を超えたコラボ・ソング発表!

(PR TIMES) 2023年03月13日(月)14時15分配信 PR TIMES

気仙沼出身の二人が、時空を超えたコラボレーション!? 3月26日(日)20時〜仙台Date fmでオンエア

東日本大震災からの復興を後押しするプログラム「Hope for MIYAGI」が2023年に手掛けるのは、同じ気仙沼にルーツのある明治の歌人と現代のシンガー・ソングライターとのコラボレーション。
地元を拠点に活動する熊谷育美は、明治時代の歌人で国文学者の落合直文が120年前に詠んだ短歌からインスパイアされたオリジナル楽曲を制作。その歌が出来るまでを描いた特別番組を、震災から12年目となる気仙沼から発信します。
[画像1: https://prtimes.jp/i/25960/10/resize/d25960-10-2f72e00794b74cafcf79-0.jpg ]

「砂の上にわが恋人の名をかけば波のよせきてかげもとどめず」。
1900年(明治33年)に宮城県気仙沼出身の歌人・国文学者の落合直文が、文芸誌『明星』(与謝野鉄幹主宰:新詩社刊)創刊号に寄せた短歌。短歌に初めて“恋人”という言葉を使ったこの歌。サザンオールスターズの「真夏の果実」や、パット・ブーンの「砂に書いたラブレター」にも通じる儚く切ないこの歌を、今から120年前に詠んだ落合直文とはどんな人物なのか?地元気仙沼で活動を続けるシンガー・ソングライターの熊谷育美は、この歌に出逢い、気仙沼市松崎片浜にある直文の生家「煙雲館」を訪ねました。

江戸末期の1861年、伊達家の重臣鮎貝家に生まれ、14歳になると志波彦神社宮司で教育者、落合直亮の養子となった幼名・亀次郎。東京大学に学んだ後、1893年に初の短歌結社・浅香社を結成。与謝野鉄幹らと短歌の改革に取り組み、その門流からは与謝野晶子、高村光太郎、石川啄木らを輩出したこと。また『日本文学全書』を共編したり、日本語辞典『ことばの泉』を刊行するなど日本文学界に功績を残し、森鴎外らとも親交がある偉大な人物であったことを館主の鮎貝文子さんから教わります。
[画像2: https://prtimes.jp/i/25960/10/resize/d25960-10-44f6a2b10d6ca0302d37-1.jpg ]


また直文は、落合家の長女・松野と許嫁となりながら会えない想いを恋文にしたため、若くして病気で亡くした折には、結ばれることがなかった哀しみを歌に詠む、というロマンチックな一面も知りました。ほかにも、新聞紙上で作品を酷評した正岡子規をも恨むことなく、穏やかに見つめた心の優しい人物像にも触れることが出来ました。

そんな落合直文が残した短歌や人柄に触れインスパイアされた熊谷育美は、120年前に詠まれた歌が今なお輝き続けることを想い、直文の短歌から得たイメージで楽曲の制作を始めます。明治から時代を超えて令和に繋がるバトン。気仙沼から新たな命ともいえる歌が生まれるドキュメントを、Date fmが55分の特別番組として放送します。またナレーションは、ラヂオ気仙沼のナビゲーターをつとめる志田淳が担当。落合直文没後120年、東日本大震災から12年目となる2023年、東北宮城・気仙沼から発信します。

[画像3: https://prtimes.jp/i/25960/10/resize/d25960-10-ec386effaafb40e4a434-7.jpg ]


Inspire-落合直文×熊谷育美-
presented by Hope for MIYAGI
●日時:2023年3月26日(日)20:00〜20:55
●出演:熊谷育美、鮎貝文子(煙雲館当主)
●ナレーション:志田淳(ラヂオ気仙沼 ナビゲーター)
地上波ラジオ Date fm 77.1MHz
radiko https://radiko.jp/#!/live/DATEFM


落合直文

[画像4: https://prtimes.jp/i/25960/10/resize/d25960-10-1a486d67954252d4b6e0-4.jpg ]

伊達家重臣、鮎貝家十二代鮎貝太郎平盛房(たろへいもりふさ)の次男・亀次郎として1861年に生まれる。14歳で仙台神道中教院を主宰する落合直亮(なおあき)の養子となり、伊勢神宮教院において国学、漢籍を学ぶ。皇典講究所、第一高等中学校、早稲田専門学校で国語学、国文学を講ずるとともに『日本文学全集』『ことばの泉』など多くの名著を上梓した。
「緋縅(ひおどし)のよろひをつけて太刀はきて見ばやとぞおもふ山桜花」は、”緋縅の直文”の名声を高くし、近代短歌の先駆者として和歌革新に大きな役割を果たすとともに、『老女白菊の歌』『橘公の歌・桜井の訣別(わかれ)』『陸奥の吹雪』など、後世に残る新体詩の名作を発表した。
森鴎外とも親交があったほか、1893年には短歌史上初の結社「あさ香社」を創設し、若い歌人の育成に貢献。門下には与謝野鉄幹、尾上紫舟、金子薫園など多くの優れた歌人がある。また1900年、鉄幹が文芸誌『明星』を創刊すると、初めて「恋人」を詠んだ短歌を発表。1903年、かねてからの病が悪化し42歳で永眠。

熊谷育美

[画像5: https://prtimes.jp/i/25960/10/resize/d25960-10-295f6703fd89b94cf589-5.jpg ]

3歳からピアノに触れ、中学時代には日々の思いを曲に綴るようになる。2009年11月 シングル「人待雲(ひとまちぐも)」でメジャーデビュー。2010年5月 シングル「月恋歌(げつれんか)」が、映画「劇場版TRICK・霊能力者バトルロイヤル」(出演:仲間由紀恵・阿部寛・生瀬勝久・野際陽子・佐藤健、監督:堤幸彦)の主題歌に起用される。
2011年4月リリースのシングル「雲の遥か」は、2011年3月10日に完成。翌3月11日、地元・宮城県気仙沼市にてテレビロケ終了直後、東日本大震災に見舞われる。
2011年のファースト・アルバム『その先の青へ』が大きな反響を呼び、第4回「CDショップ大賞2012」入賞と同時に「東北ブロック賞」を受賞。音楽活動のほかラジオ・パーソナリティ、ナレーション、東日本大震災の語り部や、学校・企業等への講演(トーク&ライブ)など、全国で活動を展開。2021年には、東日本大震災から10年を機に独立を発表。現在は、3人の子育てに奮闘するママ・シンガー・ソングライターとして、気仙沼を拠点に活動中。

煙雲館

[画像6: https://prtimes.jp/i/25960/10/resize/d25960-10-2b0338cc6c2670c7a5f0-3.jpg ]

伊達家御一家筆頭、鮎貝氏歴代の居館「煙雲館」(えんうんかん)。庭園は江戸時代寛文年間(1661〜1673)に仙台藩茶道頭の石州流二代目・清水動閑の作庭と伝えられる。地元の景勝地、岩井崎と大島を背景として、気宇極めて広大。岩出山の伊達家学問所、有備館と並び県内の双璧とされる池泉回遊式庭園。居宅は往年の火災による焼失後の仮普請であるが、落合直文(亀次郎)が生まれた当時の部屋は現存している。2017年に庭園が国指定名勝となった。


Hope for MIYAGI

[画像7: https://prtimes.jp/i/25960/10/resize/d25960-10-6d73554fd78b4ed47dd1-6.png ]

2011年3月11日に発生した東日本大震災。
Date fmでは、震災直後、復興応援プロジェクト『Pray for MIYAGI』を立ち上げ、被災地の「声」を発信し始めた。2012年には、「祈り=Pray」から復興に向けての「希望=Hope」を探るべく『Hope for MIYAGI』と改め、番組やイベントを通じて活動を続けてきた。
震災の記憶の「風化」が進み、復旧・復興の遅れも心配されている一方で、震災の教訓を未来に伝えていこうという取り組みが各地で進んでいる。被災地・宮城のラジオ局として出来ること。宮城の今を生きる方々が、どんな思いを抱えているのか伝え続けることは、震災の記憶を「風化」させないというメッセージである。「人と人」「過去と未来」「おもいとおもい」をつないでいくためのプロジェクト「Hope for MIYAGI」。



プレスリリース提供:PR TIMES

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