• トップ
  • リリース
  • 家系ラーメン人気チェーン「せい家」の創業者が、繁盛店「なんつッ亭」を買収。「ラーメン新時代」が到来

プレスリリース

  • 記事画像1
  • 記事画像2
  • 記事画像3
  • 記事画像4

家系ラーメン人気チェーン「せい家」の創業者が、繁盛店「なんつッ亭」を買収。「ラーメン新時代」が到来

(PR TIMES) 2023年04月18日(火)11時15分配信 PR TIMES

「家系ラーメン」のチェーン「せい家」の創業者が、繁盛ラーメンチェーン「なんつッ亭」を買収した。どちらも1990年代に立ち上がって個性的な濃厚豚骨醤油スープで人気を博してきた。特に「せい家」の創業者、山内勝彦氏のラーメン事業家としての歩みは起業家精神にあふれていて、この度の「なんつッ亭」の買収はラーメン業界の新しい幕開けを彷彿とさせる。
「家系ラーメン」とは濃厚な豚骨醤油スープのラーメンで1974年横浜市内に誕生した店が発祥です。同店は大繁盛店として名を馳せて家系ラーメンの弟子が育っていきました。また、一方ではそれに触発された若者たちが続々と家系ラーメンの店を開業していきました。


ここで紹介する「なんつッ亭」と「せい家」もこの店に触発されたチェーン店です。「なんつッ亭」はやんちゃな少年だった古谷一郎氏(55)が1994年9月神奈川県秦野市に創業、極めて独創的な黒マー油ラーメンをつくり上げてラーメンファンの間では絶大な人気を博しました。「せい家」は山内勝彦氏(66)が1998年2月東京・経堂に創業しました。


ここの話題のメインは「せい家」の山内氏のことです。山内氏がラーメンの世界に入るまでは紆余曲折の道のりでした。


フリーターからトップセールスマンへ

山内氏は早稲田実業でピッチャーを務めましたが、野球の名門に進まずにパイロットを目指しました。しかしながら、この夢は果たすことができずにフリーターとなりました。26歳の時に就職情報誌で見つけた事務機器の販売会社に入社しました。ここでは入社3年目にしてトップセールスマンとなりました。このように目覚ましい業績をつくる人物でしたから社長から特に大きな期待をかけられていました。


36歳の時に家系ラーメン発祥の店と出合いました。この店は11時開店から20時閉店までの9時間営業、20坪で1日60万円を売っていました。山内氏はこの繁盛ぶりを見て、家系ラーメンでの起業を思い立ち「この店を東京に出したい」と考えました。


ここのオーナーは山内氏の知人で、山内氏は「ここで修業をさせてほしい」と申し出ました。しかし、オーナーから「修業をしなくていい。あなたにはここの社長になって店舗展開をしてほしい」と言われました。そして山内氏は東京に1店舗、横浜に2店舗を出店して、家系ラーメンの人気を高めていきました。


山内氏は雇われ社長を6年間勤めあげた42歳の時に「せい家」を独立開業しました。店名の由来は「成功」の「せい」、「誠心誠意」の「せい」、「勢い」の「せい」です。場所は東京農業大学世田谷キャンパスに通じる農大通りの路地裏。人通りが多いものの店舗の存在が分かりづらい。そこでメインの通りに看板を置くなどしてから繁盛店となりました。基本のラーメンは1杯500円。この親しみやすい価格を守り通して、新規出店をするたびに「せい家」は家系の繁盛ラーメン店チェーンとしてよく知られるようになっていきました。


「せい家」は東京・原宿に出店したことでここが繁盛店のショールーム的な役割を果たすようになり、FCでの開業希望者が一段と増えるようになりました。店数が増えていき、「せい家」の事業は、ラーメン店を運営する会社の「トップアンドフレーバー」と、これらに人材を送り込む会社「せい家」の二本立てで取り組むようになりました。こうしてピーク時は43店舗を展開していました。


2014年に4月に消費税が5%から8%に引き上げられました。これがきっかけとなり基本のラーメンの価格500円を550円に引き上げました。すると客数は漸減する傾向を示し、直営店も加盟店も閉店するところが見られるようになりました。


「せい家」店舗を売却してすぐコロナ禍となる

その後、ラーメン事業で勢いを増していた飲食企業が「せい家」の運営会社「トップアンドフレーバー」を買収する話が舞い込みました。しかし、この話は双方が合意に至らず立ち消えになりました。


山内氏はこれがきっかけとなり本格的に事業譲渡を検討するようになりました。このことをM&A仲介業者に相談したところ、買主がすぐに表れました。買主はラーメン事業に興味があったようです。こうして2019年12月「トップアンドフレーバー」はこちらの会社にスムーズに事業譲渡されました。


山内氏は買主から「2年間飲食事業に関与しない」という行動制限が設けられました。こうして次の事業の構想を練る充電期間に入りました。そして、2020年3月からは本格的なコロナ禍となりました。飲食業は厳しい経営環境に置かれていましたが、山内氏は充電期間の日々。山内氏はこの当時、友人から「お前は神様の声を聴いていたのか」とうらやましがられたそうです。


さて、山内氏は2年間の行動制限が明けました。コロナ禍も落ち着いてきました。そこで山内氏は再びラーメン事業者として生きていこうと決意しました。「私の人生はラーメン30年、この経験値を新しい人生に活かしていきたい」(山内氏)。そこでラーメン事業を1店舗からスタートするのではなく、複数店舗を展開しているブランドを買収して事業を再構築していこうと考えました。


「新・なんつッ亭」で「ラーメン新時代」到来

そこでM&A仲介業者に相談を持ち掛けたところ「なんつッ亭」を紹介されました。冒頭で述べた通り「なんつッ亭」の創業者、古谷一郎氏は少年時代にやんちゃをしていて、暴走族にも属していました。それが27歳のときに家系ラーメン発祥の店の繁盛ぶりと出合って、ラーメン職人となるべく九州に修業に向かいます。その一年後、地元の神奈川県秦野市で「なんつッ亭」をオープンします。
[画像1: https://prtimes.jp/i/120193/1/resize/d120193-1-acb38ed2f1cdfbce6b35-1.jpg ]



開業当初は鳴かず飛ばずでしたが、意図して小学生の放課後のたまり場にしてみたり、にぎやかな店にしていきました。そこで同店のキャッチフレーズとなる「うまいぜベイビー」が誕生しました。古谷氏が開発した黒マー油ラーメンは、見た目のインパクトは強烈でありながらもスープはクリーミーです。これによってラーメンファンが詰めかけるようになりました。このような「なんつッ亭」の経緯は、古谷一郎氏の著作『うまいぜベイビー伝説』にまとめられています。店舗は最盛期に10店舗近く、海外ではシンガポールでも営業していました。


[画像2: https://prtimes.jp/i/120193/1/resize/d120193-1-cafc118b66ab74180b4d-0.jpg ]



その後、創業者の古谷氏はラーメン事業家よりも市民活動家の側面が強くなっていきました。店舗数も減じていき4店舗となりました。とは言え、ラーメンファンからの人気は衰えることなく繁盛店揃いです。秦野市の本店は30坪で月商900万円を売り上げています。


[画像3: https://prtimes.jp/i/120193/1/resize/d120193-1-acb38ed2f1cdfbce6b35-1.jpg ]



こうして2022年12月、人材派遣業の「せい家」(売却した店舗の「せい家」ではない)は「なんつッ亭」を運営する会社となりました。新しい体制にはかつての「せい家」の精鋭が戻ってきて「5年後20店舗」を見据えています。中途採用者の初任給を32万円から35万円に引き上げて「攻める組織」をつくろうとしています。


新しい店舗として東京・町田の駅近くの大きなにぎわいの中に17坪の物件を確保しました。「なんつッ亭」は最早、やんちゃをしていた人物のラーメン店ではなくなります。そこで山内氏は「なんつッ亭」の「うまいぜベイビー」の伝統を生かしながらも「なんつッ亭」の新しいブランディングづくりに余念がありません。


家系ラーメンはラーメン文化に一時代を築きました。そして、新しい「なんつッ亭」によって「ラーメン新時代」が始まります。
[画像4: https://prtimes.jp/i/120193/1/resize/d120193-1-f3d9c10a122069967da0-3.jpg ]



■株式会社せい家

・住所:神奈川県秦野市松原町1-2

・電話:046-389-0555

(なんつッ亭本店の住所も同様、電話は046-387-8081)



プレスリリース提供:PR TIMES

このページの先頭へ戻る