プレスリリース
―腫瘍の病態理解により将来の個別化医療へ前進―
横浜市立大学大学院医学研究科 脳神経外科学教室 立石健祐准教授、山本哲哉教授、同大学院生命医科学研究科 創薬再生科学研究室、ハーバード大学 脳神経外科を中心とした研究グループは、希少な腫瘍性疾患であるIDH2変異星細胞腫*1の悪性化が、RB経路とPDGFRA経路の活性化を引き起こす遺伝子異常によって生じることを、臨床検体と同一患者由来の脳腫瘍モデルを詳細に解析することで明らかにしました。
本研究成果は、「Acta Neuropathologica Communications」に掲載されました。(2023年11月27日)
研究成果のポイント
・希少疾患であるIDH2変異星細胞腫の病態解明、治療法開発研究に期待。
・世界初のIDH2変異星細胞腫PDXを樹立した。
・IDH1変異とIDH2変異の同一区分化は妥当である。
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図1 IDH2変異星細胞腫の進展様式
研究背景
成人の悪性脳腫瘍には様々な病気がありますが、びまん性神経膠腫(グリオーマ)は特に発生頻度が高いことが知られています。臨床的特徴および予後は腫瘍のタイプにより異なりますが、病理学的診断と遺伝子解析結果に基づく分子診断の組み合わせによって、腫瘍は統合的に分類化されます。これは特有の遺伝子異常が脳腫瘍の形成に直接的に関わることを意味します。
中でも脳腫瘍の発生において特に重要な遺伝子異常としてIDH1遺伝子の変異が挙がります。このIDH1変異は低悪性度の星細胞腫 (アストロサイトーマ)、乏突起膠腫 (オリゴデンドログリオーマ)、また悪性度が増した星細胞腫、乏突起膠腫の大部分に存在します。一方、中高年に好発する膠芽腫(グリオブラストーマ)ではIDH1変異の存在は極めて稀です。この点からもIDH1変異は膠芽腫とは異なるタイプのグリオーマの発生に極めて重要な役割を果たします。
IDH1変異は、コドン132領域に点突然変異*2が生じることで腫瘍化を促進します。星細胞腫では、加えてTP53変異、ATRX変異が大部分の腫瘍で認められ、一方乏突起膠腫では染色体1番短腕 (1p)と19番長腕 (19q)の完全欠失を伴います。IDH1変異を含めたこれらの遺伝子異常がそれぞれの腫瘍形成に極めて重要な役割を果たします。
一方、これらの腫瘍の悪性化機序として、星細胞腫ではPDGFRA増幅等のがん遺伝子の活性化とともに、CDKN2A等のがん抑制遺伝子の失活、一方乏突起膠腫ではがん遺伝子であるPIK3CA変異など、PI3K経路の活性化を引き起こす遺伝子異常が関与することを報告してきました (Wakimoto H et al. Clin Cancer Res. 2014, Tateishi K et al. Clin Cancer Res. 2019)。これらの研究は、世界最大規模の臨床検体と同一患者由来脳腫瘍株 (patient-derived xenograft, PDX) を樹立したことで見いだされたものです。また研究を通じて、これらの遺伝子異常はグリオーマの再発の際の重要な治療標的分子であることも見いだしています。
その他の遺伝子異常としては、一部の急性骨髄性白血病や、頻度は低いながらグリオーマの一部の症例(主に乏突起膠腫)で同定されているIDH2遺伝子の変異がありますます。グリオーマにおいては、IDH2変異は稀であるために、IDH変異 (IDH1/2)という括りでこれまで解析されてきました。しかし、正常IDH1タンパクは細胞質、IDH2タンパクはミトコンドリア内に存在するなど、細胞レベルでタンパク質が果たす役割は異なることからも、腫瘍形成機序に関わる詳細な検討が治療上の観点から望まれてきました。今回、本研究グループでは、大脳に発生した脳腫瘍の治療とPDX樹立実験を通じて、IDH2変異星細胞腫の病態機序の解明を図りました。
研究内容
<初発病変の遺伝子解析と診断>
大脳に発生した若年の脳腫瘍患者の手術後に、遺伝子解析を含めた検討を行いました。摘出した検体の病理像は、星細胞様の形態を呈し、またp53蛋白の発現、ATRX蛋白発現の喪失を伴いました。染色体1p/19qの共欠失は認められませんでした。 IDH1は野生型でありましたが若年発症であるためIDH2遺伝子異常の検討を追加で行ったところ、コドン172領域の点突然変異を認めました。これらの分子異常を加味してIDH2変異星細胞腫、CNS WHO grade*3の統合診断に至りました。
<再発病変の経過と遺伝子解析>
診断に即して、化学療法とともに放射線治療を術後に行い、一旦は病態が安定したものの、数年後に反対側の大脳に新規病変が出現しました。画像上、連続性が乏しいこともあり、診断、治療目的に同病変の摘出を図りました。術後の病理診断では初発検体と類似したものの、増殖能の上昇所見が認められました。遺伝子解析では、初発検体と同じIDH2, TP53変異を呈していました。このことから反対側の腫瘍は初発病変の再発と判断しました。なおCDKN2Aは初発、再発検体ともにヘテロな欠失であり、また病理学的に微小血管増生と壊死所見が認められないことから CNS WHO 診断はgrade 3相当と判定しました。
<PDX樹立と遺伝子解析>
初発検体、再発検体から初代培養細胞を作成し、免疫不全マウスの脳内に定位的に腫瘍細胞を移植したところ、初発検体からはPDXは樹立されず、一方再発検体からはPDXが形成されました。PDX片は組織学的に星細胞腫様の所見を呈していました。またPDX細胞よりDNAを抽出し、遺伝子異常を検討したところ、患者検体同様にIDH2及びTP53変異、ATRX蛋白発現の喪失所見を認めました。このことより樹立されたPDXはIDH2変異星細胞腫由来と診断されました。なおCDKN2Aは患者検体と異なりホモ欠失を呈していたことから、診断基準に即してCNS WHO grade 4相当と判定しました。
臨床経過及びPDX形成能を通じて、腫瘍の悪性化機序を解明するための詳細な検討を行いました。遺伝子異常は全エキソン解析、また網羅的DNAメチル化を行いました。興味深いことに、初発検体と比較して再発検体で腫瘍進展に関わる遺伝子変異は指摘されませんでした。一方、メチル化解析による判定では、初発検体は星細胞腫、一方再発検体は高悪性度星細胞腫と区分されました。またメチル化解析からDNAコピー数異常を評価したところ、再発検体ではCDK4、MDM2、PDGFRA遺伝子の増幅を呈していました。これらのコピー数異常はPDX検体においても同様に認められました。
次に下流のシグナル活性を評価するために、初発、再発検体、PDX検体を用いて免疫染色、ウエスタンブロット法を用いて検討したところ、再発検体及びPDX検体ではPDGFRA遺伝子下流のPI3K/AKT/mTORシグナル、RAS/MEK/ERKシグナル関連蛋白のリン酸化が亢進していました。またCDKN2A, CDK4, MDM2遺伝子の下流分子であるRb蛋白のリン酸化が高発現を呈していました。次にこれらのコピー数変化を呈した遺伝子異常が腫瘍維持に関わっているかを検討するために遺伝子異常を標的とした薬剤感受性試験を行いました。予想どおり再発検体ではRbシグナルに関連するCDK4/6阻害剤とPDGFRA阻害剤に対し細胞活性抑制効果が認められました。
一方、変異型IDH2阻害剤やPDGFRA下流のPI3K阻害剤、AKT阻害剤による細胞活性抑制効果は認められませんでした。このことからIDH2変異星細胞腫の悪性化にはRbシグナル及びPDGFRAシグナルの活性につながる遺伝子異常が強く関わることが明らかになるとともに、これらの遺伝子異常は将来の個別化治療における有力な治療標的となりうることが見いだされました。
今後の展開
本研究から得られた重要な成果として、臨床検体とIDH2変異星細胞腫PDXモデルを駆使することで、希少疾患であるIDH2変異星細胞腫の進展・増悪機序が明らかになったことが挙げられます。その結果、IDH2変異星細胞腫はIDH1変異星細胞腫と類似した遺伝子異常が生じることで腫瘍進展・悪性化を呈することが見いだされました。これまで、慣例的にIDH1変異とIDH2変異を同一区分として扱われていましたが、今回の研究によりその区分化は妥当であることが初めて示されました。更に、今回の研究を通じて世界初のIDH2変異星細胞腫PDXが樹立されたことで、今後のIDH2変異神経膠腫に対する病態解明、治療法開発研究が可能となりました。
今回の結果からRbシグナル、PDGFRAシグナルの活性化がIDH2変異星細胞腫の進展に影響を及ぼすことが明らかになり、これらのシグナルを評価することで腫瘍の病態、また現状を深く理解することにつながると考えられます。また、これらのシグナルを活性化する遺伝子異常は将来の個別化医療につながる重要な治療標的分子であることが明らかになりました。本研究成果を通じた今後の研究発展が期待されるところです。
研究費
本研究は、科学研究費助成事業 (基盤研究C 22K09210)、横浜市立大学学長裁量事業 第5期戦略的研究推進事業「研究開発プロジェクト」、第4期学術的研究推進事業「YCU未来共創プロジェクト」、横浜市立大学学内先進支援事業 (29-110, 29-111)の支援を受けて実施されました。
論文情報
タイトル:Genetic alterations that deregulate RB and PDGFRA signaling pathways drive tumor progression in IDH2-mutant astrocytoma
著者:Kensuke Tateishi (責任著者), Yohei Miyake, Taishi Nakamura, Hiromichi Iwashita, Takahiro Hayashi, Akito Oshima, Hirokuni Honma, Hiroaki Hayashi, Kyoka Sugino, Miyui Kato, Kaishi Satomi, Satoshi Fujii, Takashi Komori, Tetsuya Yamamoto, Daniel P. Cahill, Hiroaki Wakimoto
掲載雑誌:Acta Neuropathologica Communications
DOI:https://doi.org/10.1186/s40478-023-01683-x
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用語説明
*1 IDH2変異星細胞腫:IDH2遺伝子の変異を伴う星細胞腫を指す。星細胞腫は、脳や脊髄の神経細胞の働きを助ける細胞(グリア細胞)から発生する。頭痛や痙攣で発症することもあるが偶然見つかることもある。
*2 点突然変異:遺伝子を構成する塩基が別の塩基に置換されていることを指す。塩基配列の変化の中で、塩基とリン酸基を結合した糖によって構成される「ヌクレオチド」1個に起こる変異を点変異という。遺伝子の中で点突然変異が起こり、コード化されたアミノ酸配列が変化した場合には細胞内にさまざまな影響が生じる。
*3 CNS WHO grade:脳腫瘍の悪性度を反映した分類。WHO grade 1(良性)-4(高悪性)に区分される