プレスリリース
生体器官の運動模倣が可能な光駆動型オンチップ運動素子の作製に成功〜オンチップ型の臓器モデルとしてバイオデジタルツインの構築・検証に期待〜
日本電信電話株式会社(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:島田 明、以下「NTT」)は、バイオデジタルツインの実現に向けて、光刺激で素早く動くハイドロゲル(※1)薄膜を、独自のオンチップ構造形成法(※2)により生体を模した薄膜・管状構造とすることで、生体器官(※3)の動きを再現できる運動素子を作製することに成功しました。
今回NTTでは、培養基材としても使用されている温度応答性のポリイソプロピルアクリルアミドゲル(※4)の薄膜を、光に反応して発熱する金ナノロッド(※5)と複合化し、光刺激で体積変化が可能な材料を設計・作製しました。さらに独自手法で本材料を生体に類似した薄膜・管状構造へと形状制御することで、光刺激による腸管の分節運動(※6)と蠕動運動(※7)を、生体器官に匹敵する性能で実現しました。
本成果は、チップ上に生体内環境を再現する基盤技術であり、多角的・精細な各種臓器のデータ取得が可能なオンチップ型人工臓器(※8) の創製を通じて、バイオデジタルツイン(※9)の構築・検証につながるものと期待されます。
本研究の詳細は、米国東部時間2023年3月16日、米国科学誌「Advanced Functional Materials」に掲載されました。
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オンチップ型人工臓器のイメージ
1.研究の背景
生体外において細胞を培養し、臓器のような高度な生体機能を人工的に再現する技術は、細胞生物学や再生医療、創薬などの幅広い分野において重要です。特に、センサ基板上などで生体機能を再現可能なオンチップ型人工臓器が実現できれば、細胞レベルの解像度で各種臓器の様々な情報を精細なデータとして取得でき、それらのデータをもとに自身をデジタル空間で再現したバイオデジタルツインの構築につながることが期待されます。 加えて、モデルから予想される各種パラメータを入力し、実際の臓器と比較したモデルの妥当性を検証する実機としての貢献も考えられます。このオンチップ型人工臓器の創製に向け、細胞の培養環境をいかに生体内に近づけられるかが課題であり、「生体に優しい材料」・「生体に近い形状」・「生体内の刺激環境」を同時に実現できる技術が求められてきました。
研究グループではこれまでに、高い生体適合性を示すハイドロゲルに着目し、3次元形状へと構造化する技術を研究してきました。ハイドロゲルは網目状の高分子に大量の水が保持された柔らかい材料であり、臓器や軟骨など私たちの体を構成する材料と非常によく似た性質を示すことから、医用材料(※10)や細胞培養の基材として広く利用されています。このような生体に優しい本材料の「水を吸って膨らむ」膨潤という性質と、「折れ曲がりながらはがれる」座屈剥離(※11)という物理現象を利用した独自のオンチップ構造形成法を用いることで、生体に類似した薄膜・管状構造へと形状制御することに成功しています。本形状を生体器官のように複雑に動かすことを実現することで、生体内の動的刺激環境をも再現可能なプラットフォームとして、オンチップ型人工臓器創製の進展が期待されます。
2.研究の成果
本研究では、「光で素早く動かせる」ハイドロゲル薄膜を設計・作製し、オンチップ構造形成法を適応させることで、光駆動型の運動素子を作製しました(図1)。細胞培養基材としても使用されている汎用的な材料である温度応答性のポリイソプロピルアクリルアミドゲルと光熱変換材料である金ナノロッドを複合化することで、光刺激箇所のみ水を吐き出させ、収縮変形させることができます。
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図1:光駆動型オンチップ運動素子の概要
本材料にオンチップ構造形成法を適応させることで、座屈剥離に基づく薄膜・管状構造が得られることを実証しました。こうして得られた生体とよく似た薄膜・管状構造は、光照射によって生き物のように滑らかに素早く動かすことができ、高速応答・大変形・局所応答が可能な運動素子として世界トップレベルの性能を実現しました(図2)。さらに光刺激を制御することで、腸管の分節運動と蠕動運動を、生体に匹敵する性能で再現することに成功しました(図3)。
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図2:高速応答・大変形・局所応答が可能な運動素子
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図3:生体器官を模倣した運動の再現デモンストレーション
3.技術のポイント
生体器官の運動模倣が可能な高性能運動素子を作製するために本実験で用いた技術のポイントは以下の2点となります。
(1)素早い変形が可能な光応答材料
基材となるポリイソプロピルアクリルアミドゲルを多孔質(※12)化することで、水の出入りの高速化が可能になっています。また、光熱変換材料である金ナノロッドの含有量を調整することで、応答温度である35℃まで迅速に加熱できる設計にしました。これにより、光照射による発熱で、高速収縮変形が可能なハイドロゲル材料を作製することができました。
(2)大変形が可能な座屈変形機構
座屈剥離によるオンチップ構造形成法は、薄膜材料を平面状態(2次元)から座屈状態(3次元)へと大きく変形させることが可能です。この座屈変形機構により、ハイドロゲルが水を吸って膨らむ通常の膨潤変形と比較して1桁大きい変位増幅が可能であり、世界トップレベルの性能を実現することができました。
4.今後の展開
今回実現した高性能な運動素子は、チップ上に生体内環境を再現する基盤技術として、細胞培養と合わせることでオンチップ型人工臓器創製につながり、細胞生物学や再生医療、創薬などに役立つことが期待されます。また、今回提唱した座屈変形機構は、幅広い薄膜材料に適応可能な運動素子の作製手法としてソフトロボティクス分野での応用が考えられます。さらには、チップ上に作製した流路形状の動的制御による、マイクロフルイディクス分野での利用も期待されます。
NTTは本研究を通じて得られる多くのデータにより、バイオデジタルツインの構築・検証を進め、人々が健やかで心豊かに生活できる活力ある社会の実現をめざします。
5.論文情報
掲載詩:Advanced Functional Materials
論文タイトル:Biomorphic actuation driven via on-chip buckling of photoresponsive hydrogel films
著者:Riku Takahashi, Aya Tanaka, Masumi Yamaguchi
DOI:10.1002/adfm.202300184
【語句の説明】
※1・・・ハイドロゲル
ハイドロゲルとは、網目状の高分子の中に大量の水が保持された柔らかい材料を指す。固体と液体の中間の性質を示し、膨潤による体積変化や分子透過性といった特徴的な性質がある。高い生体適合性を示すため、コンタクトレンズや美容整形での埋め込み材料、細胞培養基材など、医療用やバイオ研究用材料として広く利用されている。
※2・・・オンチップ構造形成法
ハイドロゲル薄膜と支持基板間の接着を制御することで、膨潤を駆動力として薄膜の構造体が作製可能なNTT独自手法。
https://www.brl.ntt.co.jp/J/2021/04/latest_topics_202104281845.html
※3・・・生体器官
多細胞生物の体を構成する単位を指し、協同して一定の機能を営んでいる組織の集合体のことで、臓器とも呼ばれる。
※4・・・ポリイソプロピルアクリルアミドゲル
温度に応答して、保持した水を吐き出しながら収縮可能なハイドロゲル。生体適合性があり、細胞培養基材としても利用されている。
※5・・・金ナノロッド
球を伸長させたカプセルのような形をした金由来のナノ材料。適切な波長の光を照射することで、光エネルギーを熱へと変化し、発熱する(光熱変換材料)。ロッドの長さを調節することで、光の吸収ピークを550nm〜1400nm程度まで制御することができる。本効果を利用した光熱がん治療の研究にも利用されている。
※6・・・分節運動
消化器における小腸などで観察される挙動の1つで、主に腸内容物の分断・攪拌を担う運動。
※7・・・蠕動運動
消化器における小腸などで観察される挙動の1つで、主に腸内容物の輸送を担う運動。
※8・・・オンチップ型人工臓器
生体機能チップやOrgan-on-a-chipとも呼ばれ、チップ上に構成された臓器機能を持つ素子を指す。微細加工技術を用いて流路状の足場構造を作製し、その上で臓器の細胞を培養し、臓器機能を発現させることによって得られる。実験動物や人に頼らずに臨床試験を実施できる技術として期待されており、様々な人工臓器の実現を目指し盛んに研究されている。
※9・・・バイオデジタルツイン
サイバー空間における、人それぞれの身体および心理の精緻な写像をバイオデジタルツイン(Bio Digital Twin、以下BDT)と呼び、NTT医療健康ビジョンの根幹を支える技術。
※10・・・医用材料
医学や歯学分野で用いられる各種装置・用具・補填物などの素材となる材料を指す。ハイドロゲルは人口軟骨や人工椎間板、人工血管などでの応用が期待されている。
※11・・・座屈剥離
薄膜を両端から圧縮することで、中央部が湾曲しながら浮き上がり、アーチ状の構造へと変形します。これが、折れ曲がりながら(座屈)はがれる(剥離)という座屈剥離現象です。
※12・・・多孔質
細孔が非常に多く空いていること。