プレスリリース
2024年8月16日、ロシアのモスクワ、色とりどりの玉ねぎを重ねたようなクレムリンの歴史的建造物の前の赤の広場に一台のクラシックカーが到着した。ロシア政治の心臓部であり、普段は一切の車両が入ることのできないエリアだ。運転しているのは、日本人で国内旧ライセンスを持つレーサーで平和活動家・映画監督の樽谷大助氏(ユーラシア国際映画祭理事)、モナコ在住のベルギー人実業家ジョン・ヘンリ・タメンヌ氏。「国境を超えた団結」を訴える“オリンピックピースラリー”の一幕である。
【かつて“西側最強の兵器”と称されたドイツ人パイロットが着陸したモスクワ赤の広場へ】
ロシアの赤の広場クレムリンは1987年冷戦時代ソ連だったモスクワに非公式で着陸したドイツの飛行士マティアル・ルストの飛行機が着陸した場所である。当時10代のアマチュアパイロットだった彼は、フィンランドのヘルシンキからモスクワまで許可なく飛行した。マティアル・ルストはソ連防空軍と民間の航空管制官、ソ連空軍の迎撃機に数回追跡された。ソ連の戦闘機は彼を撃墜する許可を得ておらず、彼の飛行機は何度か友軍の飛行機と間違われ、モスクワまで飛行が成功した。
担当したソ連の関係者の多くが処分されたことから「マティアル・ルストは西側最強の兵器だ」とも称された。マティアルが赤の広場に着陸した5月28日は現在もロシアで国境警備記念日になっている。
「赤の広場は許可を得て駐車できました。こういった取り組みを通じスポーツにも国境がないことをアピールしたい」(樽谷)
「かつて、ヨーロッパとロシアは行き来し合う関係でした。現在、経済制裁によって直接渡航や貿易が禁止されていますが、本来文化は政治的に利用されてはなりません」(ジョン氏)
ピースラリーは、ジョン氏と樽谷 によって2017年にモナコ公国で開始。“各地の多様な文化を尊重し、世界平和・核廃絶”をコンセプトにクラシックカーで世界各国を周るというプロジェクトだ。今までデヴィ夫人や、旧ユーゴスラビアのセルジュ王子、橋下徹元大阪市長もラリーに参加してきた。
創設者の二人によって、オリンピックイヤーの今年“オリンピックピースラリー”が実施された。2024年7月23日“オリンピックピースラリー”の協賛会社であるモナコのゼプター社本社から、樽谷とジョン氏が運転する1922年製の共同所有のヴィトン仕様のシトロエンレーシングカーが出発。7月26日、オリンピック開催中のパリ高速道路道路を特別許可を得て疾走。
行きはフランス→ルクセンブルク→ドイツ→ポーランド→ ロシアの飛び地カニングラードからフェリーでサンクトベルク、モスクワの赤の広場へ、折り返し地点の赤の広場を超えてからはエストニア→ラトビア→リトアニア→ポーランドルートでチェコ、オーストリア→イタリア→フランス通って→モナコ 12カ国をレトロなクラシックカーで周るプロジェクトだ。
樽谷は、訪問先の各地で平和のシンボルとしての広島原爆の被害にあった“折鶴の少女”佐々木禎子さんの折鶴のレプリカを人々に配り、垣根を超えた相互理解、世界平和への願いを訴えた。どの国、どの町でも貴重なクラシックカーと共に彼らは笑顔で歓迎され、多くのメディアで特集されるなど国境を超えた感動を届けた。
現在ウクライナとロシアの戦争をきっかけに、ロシアからヨーロッパへ直行便は飛んでおらず、ロシア国内では西洋のクレジットカードも使えず、ヨーロッパ企業からロシアへの輸出も途絶えている。経済と政治の分断が起こる中、人々の心得お繋いだのは、ヨーロッパとロシアの陸路を繋ぐ「オリンピックピースラリー」だった。
サンクトペテルブルグで開催された記者会見には15社のメディアが殺到。ロシアの国営テレビRTなど多くのメディアでも多言語発信でオリンピックピースラリーの試みが紹介された。
https://vk.com/neltvphp?w=wall-39009199_20468
執筆:増山麗奈(一般社団法人ユーラシア国際映画祭代表理事 モナコインターナショナル日本支部 外国特派員協会準会員)
写真: 樽谷大助(一般社団法人ユーラシア国際映画祭理事 モナコウィークインターナショナル日本支部代表 外国特派員協会準会員)