プレスリリース
平和活動家・映画監督で一般社団法人ユーラシア国際映画祭理事の樽谷大助は6月初旬、タイ王国を訪問し世界遺産のアユタヤ歴史公園を訪問し、侍・空手姿で演武を行った。
アユタヤ歴史公園報告動画が6月14日公開された。
https://youtu.be/1-J9fBuHezM?si=44_A336F6-nfboKW
今回の訪問は、樽谷がライフワークとする世界各地を旅しながら、その国の文化や歴史を尊重・紹介し、世界平和を希求する“ピースラリー”の一環である。
タイの歴史上最大の王朝の都であったアユタヤには、歴史的価値の高い数々の遺跡が残されている。優雅に大自然の中横たわる高さ5m、全長28mの巨大寝釈迦仏像や、タイ風だけでなく、中国・西洋様式などが混在する貴重な建築などが、かつて栄華を極めた古都へと誘う。
アユタヤはバンコクから北へ約76km。チャオプラヤー川とその支流に囲まれた中州にある。東南アジア諸国との貿易でポルトガル、中国、日本など40カ国の市民が住む国際都市として1350年にウートン王によって建都されてから、1767年にビルマ軍の攻撃で破壊されるまでの400年に渡って繁栄を極めた。
しかし、18世紀に入って度重なるビルマの侵攻により衰退しました。
現在はアユタヤ歴史公園として遺跡が整備され、1991年にはユネスコ文化遺産に登録された。
このアユタヤで樽谷は、空手の弟子でもある妻のタチアナ・ポヒドニアや娘のソフィアと共に、世界遺産の中で空手の稽古を行った。樽谷は、戦国最強の武将と言われる本多忠勝の末裔だが、実は本多忠勝と同時代、アユタヤで活躍した“侍”がいる。
16世紀初め、23歳で駿府の豪商の船でアユタヤに渡り、日本人町の町長として活躍した山田長政である。御朱印船貿易に携わった日本人たちはアユタヤに移住し、最盛期には2,000〜3,000人以上もの日本人が住んでいた。アユタヤの傭兵としてビルマ軍との戦いに参戦し、山田長政は22代ソンタム王から官位を与えられ、1630年わずが40歳で憤死した。
日本とタイの架け橋となった山田長政氏及び当時の日本人町に関わった方々へ思いを馳せ、世界平和を願う樽谷は演武を行なった。
アユタヤは、タイの首都バンコクから日帰りでも行ける距離にあり、世界中からの観光客でにぎわうタイ随一の観光地である。ぜひ一度訪れてはいかがでしょうか。
動画報告
https://youtu.be/1-J9fBuHezM?si=44_A336F6-nfboKW
増山麗奈 筆
海外配信:樽谷大助(Europian Press / Monaco Week International)
一般社団法人ユーラシア国際映画祭/ウエストイーストプロダクション株式会社