苦難の時期を乗り越え、メダリストに
──2006年のトリノオリンピックから3年が経ちました。今振り返ってみて、あのオリンピックの意味とはどのようなものだったと思いますか?
荒川 金メダルを獲ったことは、もちろんとても大きな出来事でした。でも、その後にプロのスケーターとしてスタートできたことの方が、強い印象として残っています。「オリンピックで金メダルを獲る」という夢のその先に、「プロとして氷に立ちたい」という夢がずっとあったので。

──金メダルを獲ったあとのインタビューで「このオリンピックを覚えていようと思いながら滑った」という発言をされていました。競技の時のことは今でも覚えていますか?
荒川 覚えていますね。私は、16歳の時に初めてオリンピックに出たのですが、その頃は状況についていくのが精一杯で、どうやって戦うか、どうやってオリンピックの期間を過ごすかといったビジョンを一切もてずに参加してしまいました。そして、オリンピックが終わってから、本当にもったいないことをしたと気づきました。誰もが経験できるイベントではないのに、記憶にしっかり残しておくことができなかったからです。
だからトリノに出られると決まった時は、地に足をつけて、いろいろなことを自分でコントロールして、意識的にオリンピックに参加しようと考えました。しっかりした気持ちで臨んだので、競技に集中することもできたし、ひとつひとつのことを鮮明に心に焼きつけることができました。
──最初にフィギュアスケートで世界一になられたのは、04年の世界選手権のことでした。しかし、そこからの数年間は、結果が出ない苦しい時期が続きましたね。あの頃の荒川さんを支えていたものは何だったのですか?
荒川 自分の進みたい道が見えない、むしろ、何にも支えのないものにぶら下がっているような──。そう感じていました。その感覚が本当に苦しかったことを覚えています。
世界選手権で優勝したのは、大学を卒業する年でした。そこで満足のいく演技で締めくくることができたので、「いいタイミングでアマチュアとしての有終の美を飾ることができた。次の新しいステップに移ろう」と私は思ったんです。でも、大会を終えて日本に帰ってくると、2年後のオリンピックに向けた流れがすでに出来上がっていました。世界選手権で優勝したことで、オリンピックで金メダルを狙えると周囲からの強い期待感を感じ、じっくり気持ちを固めて、プロに転向しようと考えていた私は、とても戸惑いました。
自分ではどうしていいかわからず、かといって、誰かが私の進むべき道を決めてくれるわけではありません。もし、あの時誰かが「お疲れさま、もう選手生活はいいんじゃない」と言ってくれたら、すぐにでも引退していたかもしれません。しかし、今思えば幸いなことですが、そう言ってくれる人はひとりもいませんでした。
そういう宙ぶらりんの気持ちの状態から、「選手としてやれるところまでやってみよう」と思えるようになるまで、かなり時間がかかりました。世界選手権からオリンピックにかけてのあの数年間は、本当に辛い時期でしたね。











